日本人はいったいに、欲望を制御するのが苦手のようです。
映画やドラマでよく見られるのは、不倫のシーンで、演出とはいえ、男性がいきなりガバッと女性を押し倒してしまうものです。それまで二人とも押し黙っていたのに、突如欲望に駆られたかのように行動するのです。
お互いに性行為を楽しむのではなく、まるで降りかかった災害に二人で耐えているかのようにも見えます。事が終わると、それは二人が犯した一時的な過ちであり、天災のように仕方の無かったことにされてしまいます。
日本人は強姦をしても悔いることはありません。ましてや相手の気持ちを思いやることなど出来ません。暴力を振るったり、強姦したりしても、それは運命のようなものであり、「仕方の無いこと」「避けられないこと」として捉え、決して自分の責任だとは考えないのです。誰にでもあることなのだから「水に流して許してくれ」というわけです。それどころか「何時までも拘るお前の方が悪い」「あなたにだって心当たりがあるでしょう、お互いさまなんですよ」と内心思っているのです。
さらには、「女性を強姦する体力がないのは、男として恥ずべきことである 」という、かっての文化庁長官の言葉のように、生理的な欲求の強さを却って賞賛するようなところがあります。
そうやって日本人は何度でも同じ過ちを繰り返します。失敗から学習することが出来ないのです。いつも浅い見通しや考えしか持たず、その場の直感や欲望で行動しているのです。
日本人と接した時に共通して感じる、時間を無駄にしたかのような空しい感じがあります。今年、日本の漫画を原作としたSF映画でキャストが来日した際には、他の国とは違い、日本人のホストの存在や暖かい歓迎は見られず、不気味にカメラのシャッター音が響く中、ゲストは二次元キャラクターとの会話を強要されていたりしました。自然で人間的な感情のやりとりが欠けている味気のない人々です。
映画でもよく見かけるように、日本人のコミュニケーションも実に拙いものがあります。間を空けながらポツポツと雨だれのような会話が続きます。ためらっていたかと思えば、突然大声を出したり、息急き切ったように会話に割り込みます。「唐揚げにレモンをかけるかどうか」といった瑣末なテーマで激しく議論し、三者三様のすれ違った理解のまま終わってしまったりします。また、乞食のように目の前の女性を、息を呑みながら凝視する一方で、虫けらのように女を叩きのめし、ぼろ雑巾のように相手を強姦します。自分の気持ちを一方的に押し付けたりするような、会話が成立していない状況がよく見られます。
この国は、理屈も通じなければ、何を考えているのか感情も見えないような人々で満ちています。お互いに、ただ欲望のままに酒を飲んだり女を漁ることぐらいしか共通点や喜びを見出せないのです。性欲や食欲などの本能的な欲求は強いものがあり、それを隠そうともしません。手段は洗練されておらず食い散らかし放題です。
性欲はいろいろな行動や芸術につながる要因のひとつでもありますが、日本人はこういった低レベルの欲望をそのまま、むき出しにしてしまうところに特徴があります。歳をとっても執着は強いままです。ボケているのに「若い者には負けん」とばかりに、何時までも現在の地位にしがみつき、果ては無給で働き、生涯現役を目指します。こうして若者の雇用機会を奪っています。心身ともに弱っているのに自覚が無く、クルマで若者をひき殺したりもします。
押し黙っていて意思疎通ができず、腹の底では何を考えているのか分からない不気味な人々だが、激しい欲望をむき出しにして突如行動する、こうした日本人のイメージは戦前から今に至るまで変わらないのです。