kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

複数の独立した主体から構成される人格

人は時として、喋っている内容と行動が全く違うことがあります。無意識の意図や感情が、自分の行動を支配してしまうことがあるのです。

 

記憶が無いほど酩酊しながらも家に帰れたり、泥酔状態の音楽家が難なく楽器を演奏したという話を聞く事があります。また、手術によって脳梁(corpus callosum)を切断された分離脳(Split-brain)を持つ人の左手と右手が、あたかも別の意図を持つように動くという事例も報告されています。

 

正常な人であっても、極めて冷静に思考を行い得るが、世界の意味や色合い(情景や個々の対象に結びついた情感)が薄れている状態がある一方で、世界が色づき、発想や創造力が増す状態があったりします。

 

コンピューターの世界では仮想機械(virtual machine)というものがあって、あるOS上で、あたかも別のOSが動作しているかのように(emulate)する事ができます。人間の脳においても、このように別々の考えや感情をもった複数の主体が存在するのかもしれません。意識と無意識、あるいは、優位半球(dominant hemisphere)と劣位半球(minor hemisphere)というような単純なものではなく、多数の主体、極端なことを言えば脳細胞単位にそういったものがあるかもしれません。

 

人は様々な「役」を環境に応じて切り替えていきます。自覚が無くても、その場その時に応じて、適切な主体が一瞬で入れ替わります。しかし観察者である「私」「自我」「魂」はひとつであり、必要があれば介入も出来ますので、独立した個々の精神に振り回されているとは感じないのです。

あるいは記憶だけが、意識の連続性を生み出しているのに過ぎないのかもしれません。記憶が途切れ問題を引き起こしていれば、解離性同一性障害多重人格障害)ということになります。

 

とは言え、自分が意識していない、これらの主体もしくは「代理人」が活発でないと、創造的な仕事は不可能で、酷い状態だと何をするのも面倒となります。また逆に活発であっても、それらの「代理人」を制御できていないと、様々な考えが思い浮かび決断ができない状態になります。

言語を司る「主体」が、連合王国の王として君臨し、これらを統御すると思われますが、言語機能がある優位半球を麻痺させることにより、被暗示性が高まり、ある種の心像を繰り返し与えることにより、その人の行動を左右する事も出来るかもしれません。

 

これらの代理人や主体は、必ずしも同期が取れているとは限らず、自分が今何を感じており、何を本当に望んでいるのかを、良く読み取ることが必要です。それらを無理に抑えつけたり、適当な解釈で済ませてしまうと、後々問題が起こるわけです。また音楽の演奏というのは、これらの「代理人」を高度なレベルで正確に同期させる必要があり、その点で人間にとって重要な意味を持つと言えます。

 

人が死ぬ間際にはこれらの主体が一つ一つ停止していき、最後に冷静な観察者だけが残る、澄んだ気持ちになるのかもしれません。 自分の中に複数の主体が存在していると想像するのは、面妖ですが、こういった多重性が却って人格に深みや魅力を与えているのかもしれませんね(笑)