ベートーヴェンの弦楽四重奏曲、「大フーガ」(作品133)は、ベートーヴェン後期における異色の傑作です。ベートーヴェンはホモフォニー(和声音楽)を極めた作曲家でしたが、後期になるとそれはやり尽くしたとでも言うように、フーガのようなポリフォニー(多声音楽)に傾倒しだしました。
多声楽、特にフーガになると、どうしても和声という点からは外れる音が出てきますが、この「大フーガ」はもはや協和音や不協和音といった概念を超えてしまった、ベートーヴェンにおけるポリフォニーの極みに位置する作品です。
曲の前半部分は各パートの弾く声部が、激しくぶつかりあい不協和を奏でますが、それまで聴いた事が無いような、暴力的で力強さに満ちた響きに圧倒されます。和声の点からは聞くに堪えない、しかし革新的なフーガで、聞き手を納得させてしまう曲です。
曲はマクロで見ると、大きく3つに分けられます。序奏から激しいフーガへと続く前半部分(0:05~5:00)、フーガで使われた主題をもとに多彩な変奏が続く中間部(5:00~11:25)、そして後半部(11:25~15:38)です。
前半部分では、楽器の順番や長さを変えながらフーガが何回も繰り返されます。中間部(5:00)は一転、穏やかになり、主題をもとにした甘い旋律を奏でますが、いろいろな形に変奏されていきます。特にトリルを中心とした演奏部分(8:32から10:20)は、スリリングで緊迫感があり、この曲の聴き所です。
そして後半部(11:25)に移り、コーダ(終結部)のような展開がありますが(11:25、12:57)、その度にはぐらかされます。その後穏やかな曲調(13:32)になって、またコーダと思わせたあと(13:52)、主題の断片が演奏され(14:18)、最後はこれほどの長い曲にしては、あっさりとしたコーダ(15:18)で曲を終了します。
終結部に向けて曲を盛り上げていくというのが、それまでのベートーヴェンであり、一般的にもそれが普通ですが、この曲は違うのです。それが、一聴すると竜頭蛇尾に聴こえる理由です。ただ個人的には、冒頭と同じ旋律が流れるあたり(14:51)で終わりに持っていった方が格好良かったかとは思います。
この曲の調は一応、変ロ長調ですが、冒頭の主題となる旋律も異様です。最初のド、ド#ー、シ♭ー、ラー、ドーですが、これでは主音がどこだか分かりません。次のレ、シ、ドで主音に納まりますが、通常の和音を構成しない音で作られた違和感を感じる旋律です。
半音が多く使われていますが、スムーズな転調を予想させるような音はわざと使われていません。当時の聞き手の期待を裏切るような異様な旋律だったのです。しかしベートーヴェンにとっては、今までも誰も聞いたことの無い新しい音楽を作ったという自信があったと思います。
理屈はともかくとしても、この曲には聞き手を圧倒する異様な雰囲気と力があります。単なるクラシック曲に留まらず、ジミ・ヘンドリックスの楽曲にも通じるようなパワーとカオスが感じられます。現代においても全く古臭さを感じさせない、ベートーヴェンの中でも重要な曲です。
(ベートーヴェンの弦楽四重奏は電子音楽とも相性がよいのです。こちらの方があるいは、曲の構造が分かりやすいかもしれません)