日本人は表面だけを見て本質を理解できない人達です。海外の物、例えばiPhonを分解して「何だ、こんなものか。大したことはない(これなら俺でも真似できる)。」とうそぶくのです。
日本人は、製品のコンセプトや、それぞれの形状や技術が全体に寄与する意味、その製品が世にもたらすインパクトを理解し想像することができず、ただ表面だけ捉えて理解したつもりになっています。所詮人間が作ったものですから、他人も理解できるのは当たり前です。しかし日本人は自然の法則を解明して理論を打ち立て、そこから全く新しいものを創造するということは出来ないのです。
「日本人は木ではなく森全体を見て包括的思考をする」という考えもありますが、日本人は木も森も見えない、すなわち本質を分析することも出来なければ、俯瞰的に全体を見て創造をすることも得意ではない人々です。
高名な学者の論文もパクったものの切り貼りのような内容だったりします。プロパガンダを垂れ流す御用学者や、学者をたばねるボスザル、助成金ゴロや、何もしない人が大勢いる一方、その下で非正規のポスドクが大量にいるのです。
というのも能力のある人が社会で成功しても、その才能を使って、どれだけ楽をし安泰な生活を送るかということになってしまいがちだからです。日本人には天与の才能を他人のために活かそうという発想はあまりなく、頭が良かったり技に優れているのは努力した結果だからとか、自分が優秀だからと考え、全部自分の為に使うべきだと思っています。
そのためか日本人には謙虚さがなく傲慢です。世の中には他人が作ったものなどに興味の無い人が沢山おり、猿真似が得意だからといって、それを自慢するなど、傲慢であるだけでなく滑稽ですらあります。日本人が作るものの多くはコンセプトが平凡で、それにただ流行の技術を組み合わせてみましたというものでしかありません。
それなのに彼らは「日本人は手先が器用で頭がいいのだ」と言い続けています。知識と技術が世界に行きわたった現在、このままでは日本人の存在価値はありません。