kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

芸術で創造性などは育まれない

今話題の幼稚園のサイトを見ると、絵画制作や音楽演奏によって創造性を育むとのことです。

 

絵画や音楽を作ることが芸術的行為であり、創造的なことであると誤解している人が大勢います。しかしそれは違います。一般的なサラリーマンが創造的でないのと同じように、「芸術家」のほとんども創造的ではありません。

 

彼らのほとんどはコピーや猿まねに過ぎません。そもそも芸術という分野は、値段を決める「キュレーター」と資産を芸術品に変える必要がある富裕層が、「芸術家」の値段を決めているだけのことです。独創的であるかどうか、真に価値があるかどうかなんて、どうでも良いのです。

 

しかし「芸術家」は少なくとも何かを生み出しているではないか、と言う人がいるかもしれません。しかし何かを生み出しているのは芸術家だけでなく、サラリーマンや専業主婦だってそうです。

 

ポップカルチャーでのスターも広告代理店や業界の巧みな誘導でヒット作が生まれているのであって、自然発生的にヒット作が生まれているわけではありません。業界にはヒット作を作り続け大衆から金を巻き上げるスーパースターが常に必要なのです。

 

ということで、幼稚園児が絵画や音楽演奏に一生懸命になったからといって、創造的になるわけではありません。絶対的な基準がないから、幼稚園児の描いた落書きが「芸術だ」と言われて展示され、それを観た馬鹿な人たちが「ああ、そうか」と感心するだけのことです。

 

確かにある種の楽器は、幼児期からの教育が効果的ですが、巧みな演奏家が必ずしも芸術を理解しているとは限りません。

 

芸術、情操を謳う教育機関の本当の目的は、体育や習い事などで常に忙しくさせることによって、自分で考えずに命令に素直に従う人間を作ることなのです。

 

昔の創造性溢れる偉人達が、幼児期からスパルタ教育を受けていたかというと、そんな事はありません。むしろ落ちこぼれの方が多いのです。昔も今も創造性のある人はごく少数者です。それは教育によって生み出されるものではありません。もし「創造性を育む」などと謳っている教育機関があったとしたら、それは疑ってかかったほうがよいでしょう。

優れた兵士を作る秘訣は、馬鹿となるように教育すること

映画「フルメタルジャケット」では、過酷な海兵隊の新兵教育を垣間見ることができます。鬼軍曹が新兵に対して、「自分たちは価値がないこと」、「規則正しく生きること」、「自分で考えずに即座に命令に従うこと」等を徹底的に叩き込んでいきます。こうして士官や軍曹の命令に忠実なロボット兵士ができあがるのです。

 

兵士(ソルジャー)を馬鹿となるように教育する、実はその例を、いにしえの薩摩の郷中教育(ごじゅうきょういく)に見ることができます。

 

生麦事件に端を発する薩英戦争後、英国と薩摩は急速に距離を縮め、薩摩は明治維新へと突き進んでいきます。イギリス人の通訳アーネスト・サトウは薩摩について、「優れた人々で将来この国において指導的立場を担うであろう」というような意味のことを日記に書き記しています。

 

またある英国の外交官は、郷中教育について、「兵士に対しては常に『ぼっけもん』(馬鹿者)であることを要求する。こうして命令一下、死ぬことも厭わない兵士が出来上がる。しかしこのような教育を、あえて拒否し続ける者に対しては一転、将来指導的立場を担うものとしてまったく別の教育がなされる。」というような意味のことを書き残しています。我々が伝え聞いている郷中教育の内容や、「ぼっけもん」の意味合いとは若干違いますが、彼らが薩摩の軍隊教育をどう受け取ったかというのが分かります。

 

薩摩の郷中教育の一部は、日本の新兵作りや、国民教育へと受け継がれていきました。郷中教育はもともと的確な瞬時の判断力を重視するものでしたが、国民のほとんどは兵隊や奴隷でよいので、「ぼっけもん」作りが重視されたのです。

 

そして太平洋戦争で、日本兵の自爆攻撃やバンザイ突撃、中々降伏しないしぶとさを目の当たりにした米軍は、その秘密を探り、新兵教育にそのエッセンスを取り入れていったと思われます。

なぜ日本人は偽善者と呼ばれるのか(具体例)

海外において日本人が偽善者、ウソつき、狡猾な卑怯者であると言われている、理由を考えてみます。これは故なき言いがかりなのでしょうか。それとも日本人は本当に偽善者なのでしょうか。以下に当てはまりそうな項目を挙げてみます。

(1)過去を忘れる
真実がどうであれ、過去を都合よく忘れる。指摘するとウソを並べる。

(2)自分に都合のいい適当なウソを信じる、他国に指摘されても全く改善しない。
「日本人は腸が長いので欧米の食糧は輸入できない」、「日本人は農耕民族」、「日本人は宗教的」、「日本の警察は優秀だ」、「クジラ漁は日本の伝統文化」、「イルカ漁は必要」

(3)日本は世界に好かれている素晴らしい国だというプロパガンダを唯々諾々として受け入れる。
一例として、「クールジャパン」という気持ちの悪いTV番組がある。選別された外人たちが、スタッフが用意した場所への旅やレポートをし、またそのビデオを見て、ひたすら「日本はクール」と褒め上げる、真に胡散臭い番組。

(4)権威に従順で、命じられたらどんな不条理な事でもやる、しかも一生懸命にやる。戦争だってする。特攻だってする。「バンザイ突撃」もする。

(5)簡単に自殺をする。自分の命を軽視する者は、他人の命はもっと軽視する、と思うのが欧米での合理的な推論結果。

(6)死刑に積極的である。欧米はキリスト教が土台にある事もあるが、人間が「人をさばく」、ましてや殺すという事には慎重。だから殺すにしても戦争をするにしても、合理的な理由、大義名分が必要であり、事前に予告や仄めかしを行うといった、言わばフェアプレーを重視する。日本は素人裁判員が、プロの判事よりも重い死刑を下すという冗談のような国。そしてその理由には合理的思考は無く、多分に感情を土台としている。

(7)ポリシーがない、コモンセンス、真の教養が無い
ノーパンしゃぶしゃぶに行ったと報道された人間が事務次官になったり、学生時代に強姦事件を起こした人間が総理大臣になったりという、達の悪い冗談のような話が本当になる国。上に行くほど馬鹿が出てくる。
日本人は宗教が諸悪の根源だと思っている。しかし外国から見るとポリシーも無いのに無闇に人を殺す日本人のほうが不気味に見える。

(8)知識偏重のパターン認識思考
「傾向と対策」に従って、知識の詰め込みを行い、深く考えて理解したり、創造性を発揮する者は極一部。明治の役人養成、労働者養成教育がそのまま残っている。これから人工知能で置き換えられるような能力を未だに競っている。

(9)不正に甘い。それが上に上るほど強まる。外国から、自浄能力の無い国民、組織だと思われている。

(10)力があり有名だったり見た目の良い外人はチヤホヤするが、そうでない者は差別、無関心を装う。

(11)力を見せつけられると大人しく従う、卑しい国民性を持つ。

(12)義理と人情、何かをあげたら、何かお返しを貰えるものだと思い込んでいる、セコイ国民。

日本の強さの秘密は洗脳にあり(幼稚園編)

以前、「日本の強さの秘密は洗脳にあり」という文章を書きましたが、その素晴らしい実例を今話題の幼稚園に見ることができます。戦後、日本は修身教育を禁止されて骨抜きにされましたが、それを復活させたのがこの幼稚園です。

 

ひたすら日本と日本の偉人の素晴らしさ称え、中国や朝鮮、韓国といった周辺国家への反感を植え付ける。それを幼稚園という段階でやる。これこそ洗脳の鏡です。大人になってからの洗脳は時間も手間もかかり、(海兵隊の新兵教育のように)時には少々荒っぽいことも必要ですが、ほとんどの子供は疑いもなく教えられたことを吸収していくので効率がよいのです。

 

例え、この後の教育が通常のものであったとしても、幼児期に教えられた事を忘れることはありません。何か日本が危ういという情報を吹き込まれると、無意識のスイッチが入り、「国のために何かしなければ」という使命感が考える間もなく、頭に思い浮かぶようになるのです。

 

普段は「いい人」であっても、いざスイッチが入れば別人のように勇猛な兵士として、その力を発揮する、戦前の日本兵が強かったのはこういった洗脳教育が徹底していたからです。

 

カミカゼ・アタックこと自爆テロが今でも盛んなのは、ローテクで低コストでありながら、はなはだ効果的であるからですが、洗脳された兵士はこういった目的にも使えます。

 

優秀な兵士を作るのには時間とコストがかかるものですが、今回の方法はもっとも効率のよい方法のひとつだと言えるでしょう。ロボット兵器はさらに金と技術力がいりますが、人間の兵士はセックスして出来てしまった子供を、こうした幼稚園に放り込むだけで作れるのです。おまけにカネは親が払ってくれます。いくらでも代わりがいるし、増産が可能です。日本の未来はまだ少し安泰なようです(笑)

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日本は古来より、少数の支配層と奴隷からなる国家だった

日本人はあまり意識していませんが、日本は多民族国家です。中国、朝鮮半島縄文人アイヌ琉球民族、東南アジア、はては中東の人々が日本列島に流入してきて現在の日本人を構成しています。顔もあっさりとした中国人のような顔から、中東系の彫りの深い顔まで、肌色も浅黒い人から透き通るように白い肌の人までさまざまです。

 

日本人は大きく分けるといわゆる弥生系と縄文系との混血が大多数であり、その次に縄文系の特徴が多い人たち、そして中国系、朝鮮系の人々がいます。大多数の日本人は気づいていませんが、日本を本当に支配している「日本人」は、中国系、朝鮮系の人々です。

 

母系のミトコンドリアDNAの分析だけでなく父系のY遺伝子の分析から、中東から地中海由来のD系統遺伝子を持った日本人が多くいることが分かっています。これは一時期、かっての日本において彼らが支配的立場にあって一夫多妻的な制度などで彼らの血筋が広まったことを物語っています。

 

日本というのは大陸から逃げてきて、これ以上行き場のない東の果ての島国にたどり着いた、力の無い人々から成り立った国です。中国は日本とはまったく違って、弱肉強食の世界で生き残ってきた人々です。戦いに負けたものは一族皆殺しか、国外に逃れるしかありませんでした。国というのは多かれ少なかれそうやって作られていくものです。

 

しかし日本では状況が違っていたのです。7世紀に忽然と現れた日本。(正確に言うとそれ以前の日本の歴史は意図的に改ざんされています) そこには常に少数の支配層と大陸から逃げてきた多数の奴隷国民がいました。彼らはおとなしく従う他はなかったのです。支配層は大きなダメージを受けることなく今に至るまで続き、また奴隷層もムシケラではありますが利用価値があるため支配層に好まれたのです。

 

気をつけなければならないのは、一見支配層に属するような人々にも奴隷的資質の人間が多くいるということです。江戸時代では、お上に忠実な民や大名が好まれました。大名であっても目をつけられれば取り潰しにあい、あるいは家名は存続しても全く別の人間に据えかえられたりしました。こうして御しやすい日本国民の特性がますます強化されていきました。

 

そして日本は、外国ならばとても生きていけないような多くの奴隷人と、ごくごく少数で表には出ない支配層から成る国家となったのです。何もせずに奴隷国民を見下げる支配層と、文句も言わずに働き続ける奴隷根性にまみれた人間に日本人は見事に分かれているのです。