kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

人間と、その他の生物との優劣の差はどこにあるのか

以前通りを歩いていたら、体を半分踏みつけられて、のた打ち回っているミミズを発見しました。ミミズにも「苦しみ」というものがあります。ゾウリムシにだって、のた打ち回っている様に見えないだけで、苦しみがあるのかもしれません。

 

もし下等動物や虫がよく出来たロボットだとしたら、回復不能で深刻な機能不全に陥りながら、無駄に体を激しく動かしているのは意味のないことです。これらの生き物も、人間とはレベルは違いますが、苦しみを感じる意識があり、それを生かしている魂があるようです。もし人間の魂が不滅で輪廻するものだと仮定すると、自分の来世がミミズになって、のた打ち回って苦しむ事だってあるかもしれません。

 

下等生物でもむやみに殺したり苦しめることは、やはり良くないのだろうと思うのと同時に、次の事柄に思いを巡らせました。人間に見えないほどボケてしまった認知症の人や、堕胎される胎児は、犬や牛などの動物的自我しかもたいない生命と比べて、命の尊さに高低はあるか?という問題です。

 

トルストイは「人生論」の中で、動物的自我だけではなく、理性的自我を具えているのが人間であり、それが人間の尊さであると述べていました。またカントは「実践理性批判」で、普遍的に立法するのが人間性の証と述べています。つまり自分で何か戒律を作り、自分でそれに従う事ができるのが人間だと語っています。

 

じゃあ、ボケ老人や、胎児はどうなるのでしょう。理性的自我があるように見えないじゃないか、という訳です。これについては創世記の一節を思い出しました。「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り("make mankind in our image, in our likeness")」というものです。それゆえ、他の人間がこれを損壊することは許されない、認知症の人間をぞんざいに扱ったり、堕胎をすることは神への不敬に当たるのです。ミミズには気の毒ですが、人と他の生命体との違いはここに存在するような気がするのです。