「カイジ」という漫画に、「この世を空想か何かのように考えて、真剣に生きようとしない人間が多い」と登場人物が語るシーンがあります。しかし真実は逆です。この世は天界(異次元)の住人から見れば、仮想世界そのものです。
なぜ行き当たりばったりで出会った男女の性行為で、簡単に一つの生命が生まれてしまうのか。なぜこう脆くも人は死んでしまうのか。もしこの世界以外に天界の住人が居るのなら、何故このようなことが許されているのか不思議です。その理由のひとつは、この世における生命が仮初めに過ぎないからです。
まるで一生懸命に生きるのが良いことであるかのような風潮がありますが、自分のレベルに応じて適当に生きるのが楽で良いのです。でないとカネや名誉、業績や、多くの友人といったポイント集めに、いつのまにか夢中になってしまいます。あるいは、良いことを沢山すれば救われるのでしょうか。しかし良いことを沢山するのにはカネが要ります。結局同じことです。
先ほどの漫画「カイジ」で、「人は死ぬ時に、この世が空想などではなく真実であることを悟って後悔する」とありますが、これまた逆です。人は死ぬ時に、この世が夢幻のようなものであったことを悟るのです。豊臣秀吉が「つゆとおち露と消えにし我が身かな 浪速のことも夢のまた夢」とまさに述べたようにです。