kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

この世は真剣に生きるに値しない

カイジ」という漫画に、「この世を空想か何かのように考えて、真剣に生きようとしない人間が多い」と登場人物が語るシーンがあります。しかし真実は逆です。この世は天界(異次元)の住人から見れば、仮想世界そのものです。

なぜ行き当たりばったりで出会った男女の性行為で、簡単に一つの生命が生まれてしまうのか。なぜこう脆くも人は死んでしまうのか。もしこの世界以外に天界の住人が居るのなら、何故このようなことが許されているのか不思議です。その理由のひとつは、この世における生命が仮初めに過ぎないからです。

まるで一生懸命に生きるのが良いことであるかのような風潮がありますが、自分のレベルに応じて適当に生きるのが楽で良いのです。でないとカネや名誉、業績や、多くの友人といったポイント集めに、いつのまにか夢中になってしまいます。あるいは、良いことを沢山すれば救われるのでしょうか。しかし良いことを沢山するのにはカネが要ります。結局同じことです。

先ほどの漫画「カイジ」で、「人は死ぬ時に、この世が空想などではなく真実であることを悟って後悔する」とありますが、これまた逆です。人は死ぬ時に、この世が夢幻のようなものであったことを悟るのです。豊臣秀吉が「つゆとおち露と消えにし我が身かな 浪速のことも夢のまた夢」とまさに述べたようにです。