旧約聖書の神を信じる人達にとっての、この世の目的を考えてみましょう。この世界に人がいる目的、それは実に簡潔に聖書のなかに記されています。
神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」(創世記1:28)
混沌とした、この地上に秩序をもたらし、全てを征服し支配すること、それが人間が作られた目的なのです。旧約聖書の神は、秩序と正義の為なら、戦争や大量虐殺をも厭わない神です。
新約聖書に記されている「愛の神」とは大分イメージが違いますが、彼らにとってキリストは異端です。旧約で語られている長い歴史に比べて、キリストが活躍したのは、ほんの数年にすぎません。またキリストはユダヤ人の主流派からは否定され、結果、その教えは異邦人の宗教となりました。そして迫害を経てローマ帝国の国教となり、その後、世界中に広まっていきました。
旧約聖書の神を信奉する彼らからすると、地上を支配するという、人間に課せられた目的を果たしたあと、人間は呪いをとかれ、ようやく次のステージに行けるのです。そのとき、ノアの洪水以降、姿を見せなくなった神々が公に現れ、人間は新しい形態を与えられて、また次の新しいゲームが始まるのです。あるいは、この物理世界が映画「マトリックス」のような仮想世界のようなものだとしたら、人々は、この制約の多い世界を抜け出し、高次の世界でようやく目覚めることができるのかもしれません。
彼らにとって、かりそめに過ぎないこの世界での戦争や人命などは小さなものに過ぎません。それよりも、地上を支配するという目的を早く果たさなければならないのです。それを実現した人間はそれだけ多くの報酬を神々から得られます。もし、人間達が神の定めた目的にそむき、別な方向へと動きだした時は、「ノアの洪水」のような、大規模な自然災害による世界のリセットがもたらされるのです。世界中で頻繁に起こっている災害や艱難は、時間切れが近いことを、神々が人々に暗示しているのかもしれません。だから急がねばならないのです。