N響がピアニスト、マルタ・アルゲリッチと競演したビデオがあります。プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番なのですが、ピアノとオーケストラがずれまくって、まったく音楽の体を成していません。まずは、ぴったりと合っている模範例としてユジャ・ワンがアバド指揮するルツェルン祝祭管弦楽団と競演したものを聴いてみてください。1:40から2:40ぐらいまででいいです。
次にマルタ・アルゲリッチとNHK交響楽団です。こちらは、0:40から1:40まででOKです。
いやはや酷い演奏です。テンポが速くてピアニストが遅れているのではありません。NHK交響楽団はピアノを全く聴いておらず、合わせようとする気がないのです。指揮者はシャルル・デュトワですが、彼の指揮にも従っていません。
0:40から見ると、明らかに指揮棒よりもオーケストラが先走りをしています。逆にアルゲリッチがオケに合わせてくれています。かと思えば1:30のファゴットが大写しになる部分からはオケがいきなり遅くなっており、ピアノとまったくずれてしまっています。
N響は遅くあるべき所が速く、速くあるべき所が遅かったりしています。彼らは誰の指示にも従わず、ピアノに合わせる気もなく、ただただ機械的に演奏しているだけなのです。第一楽章が終わった時点(9:00)で、アルゲリッチが指揮者に対して首を横に振って、手を横に広げて不満をアピールしています。
N響の言い分としては、リハーサル通りに弾かなかったアルゲリッチが悪いということでしょう。つまり自分の仲間内ではぴったり合わせるが、指揮者とピアニストは自分たちに合わせろと、こう言っているわけです。
普通の人間は、こんな聴くに堪えない音を出すのに耐え切れず何とかしようと思いそうなものですが、仲間内の音は聞こえても、ピアノの音や指揮者は頭から消え去ってしまったかのようで、その無神経ぶりはあっぱれと言う他はありません。
日本人は協調性は高いのですが、それはあくまで仲間内のものでしかありません。仲間を重視するあまり、「音楽を聴かせる」という本来の目的など、どうでも良くなってしまうのです。そして日本人が集団でおかしな方向に走り出しても誰もそれを止めることはできないのです。