kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。内容は逆説的、独断的な極論ですが、日本人覚醒への強い祈りを込めたエールです。

この世における自分の役割とは

よくクリスチャンでも、ノンクリスチャンでも、書いたものに「神様が試練を与えて」とあるのを目にすることがあります。この感覚は正解です。あたかも各自の才能に応じて、試練があり、さらにある道を指し示されている様な気がする事があります。

ではこの神とは何か。残念ながら「世の神」、すなわちルシファーです。ルシファーは何も破壊を望んでいる訳ではありません。この仮想世界、シミュレーション世界をずっと永らえさせ、そこで自分も楽しみたかったのです。とはいえ良い奴ではありません(笑)。

ル シファー達は、初めから100%の能力を人に与えれば良いものを、ある人は5%、またある人は30%などポイントを決めて、人生における努力で人が何%ま でポイントを達成できるか、というゲームをさせているのです。さらにある人は、人生半ばにして事故や病気で死ぬ運命を与えられています。この世の不条理と いう奴です。ある人は犯罪者としての道が用意されています。こういった人間の悲喜交交を見て楽しんでいるのです。

対してイエスは、人々が 努力して成功したり徳を積んだりする事を命令している訳ではありません。そんな綺麗事ではなく、単にイエスの存在を信じ、この世での生活を耐え忍ぶ事だけ です。ポイント獲得に夢中になり人生において成功してしまうと、なかなかそういう風には思えないかもしれません。下の言葉はそういう事を言っている訳で す。

「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。(マタイ5:3-4)

わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。(マタイ5:11)


さらに下記のイエスの言葉は、自分自身が是としない罪や間違いを犯し続けても、単にイエスの事を信ずれば良いと言っている訳です。

わ たしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。わたしを拒 み、わたしの言葉を受け入れない者に対しては、裁くものがある。わたしの語った言葉が、終わりの日にその者を裁く。(ヨハネ 12:47-48)

私 の語った言葉が裁くと書いてあるのは、イエスを信じない者には、この世がリセットされた際に、イエスの語った数々の掟が自動的にその人に適用されるという 意味かと思われます。人はイエスを固く信じていても必ず間違いを犯すのですから、イエスを信じていない人は、一人残らず有罪となります。その時には人生に おける全ての瞬間の完璧な記録と同時に、完璧な記憶、理解力を与えられると思われますので、「記憶にない」「そんなつもりは無かった」「イエスを知らな かった」という言い訳は通用しないのです。