イエスが地上に来て2千年が経ちましたが、終わりの日の直前にはっきりとした、印はあるのでしょうか。
黙示録などの予言を読むと、つい、 その謎解きに夢中になってしまうものです。しかしイエスは、いつ終わりの日が来るのか、御使いはもちろん、イエスも知らず、 ただ神だけが知っていると言っています。もちろんルシファーにも分かりません。(マタイ24:36) 全く思いがけない時にやって来るのです。(マタイ 24:44)
考えてもみてください。人間ごときが、終わりの日を察知できるような予言であったならば、人間とは比べものにならないくらい賢いルシファーなら当然、とっくの昔に終わりの日を知っていることでしょう。
聖 書はある意味、いろいろな罠がしかけられている書です。もっとも重要なのは、イエスの活動を記した4つの福音書かと思われます。なぜこれだけ、4人の視点 で、重複した内容を記した書があるのか。それは、これらが最も大切な書であるからでしょう。それに対して、例えば黙示録などの予言の謎解きに夢中になるの は危険かもしれません。
黙示録では、「ここに知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすもの である。そして、その数字は666である」と読者を挑発しています。(黙示録13:18) しかしイエスは、必ずしも知恵のあるものが奥義を知るわけでは 無いと言っているように思えます。(ルカ10:21)
それでは、イエス自身も語っている、預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら(マタイ24:15)と書かれている部分は、どう解釈したらよいでしょうか。
こ れは思うに、全人類に共通したある出来事ではなく、それぞれの人に応じた、このような出来事があるのではないでしょうか。例えばある人にとっては、 「9.11」であったり、「3.11」であったりする、また別の人にとっては何処かの噴火や、洪水であるのかもしれません。
そのような 出来事が重要な転機であると感じられ、そして、時の支配者達は国民にとって全く当てにならないどころか、事実を隠し国民を見殺しにするのを目の当たりにす る。そして権威のある者達が全く良識を備えていない事が分かる。それは、聖なる場所に獣のようなものが立っているようなものであるかもしれません。
イ エスの死後、しばらくたってからユダヤ属州はローマ軍に囲まれました。それを見て迷わずユダヤから逃げ去った人々は助かりましたが、時のユダヤの支配者た ちの言う事を聞いて、大人しく従った人々は滅ぼされることになりました(ユダヤ戦争)。今現在、そのような転機を感じたら何をしたら良いか。少なくとも司 人の言う事を聞いて大人しくしている事ではなさそうです。
そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。(ルカ10:21)