日本人は騙されやすい人々です。自分で考えることができません。誰かから言われた通りの事をやるだけです。振付師から「祭りだ、踊れ!」 と言われれば、無表情でそれに従うのです。やる気が無いのに「仕方がない」と呟き、破滅へと向かって猪突猛進していきます。
サンバの踊りは、明るくてエネルギーに満ちています。しかしながら日本人がサンバを踊ると、途端にジメジメとした薄汚いものに変わってしまいます。貧相な白いケツを剥き出しにして、無表情で、クネクネとした奇怪な踊りを披露しているのです。周りに居るのも、無表情で動画や写真を撮っている不気味な連中です。
日本人はよく「踊ってみた」「演奏してみた」という動画を上げます。しかし「どれほど忠実に猿真似ができたか」というのを競っているだけです。オリジナリティはゼロです。表面だけを真似ても、本質を理解していないため、まるで違ったものになっています。
何度も言っていますが、学習し行動する際には、具体から抽象へ、そしてまた具体へと変換するプロセスをたどります。ところが日本人は、手っ取り早く具体から具体へと飛び移ります。表面上は「物覚えが良く」「速い」ように見えます。しかし単にショートカットをしているのに過ぎないのです。本質を理解していないので応用が効きません。新しい環境になると途端につまづきます。
現代では、新しい環境に合わせて、素早く変化し続けていく能力が求められています。従来の日本人のやり方では無理なのです。
こうした日本人の欠陥は、普段の仕事の仕方にも現れます。大規模プロジェクトに至っては悲劇的な様相を見せます。
日本では段取りや事前準備、ロジスティックス、柔軟な計画変更が軽視されています。何か事が起こった際の代替案を用意しておいたり、状況に合わせて決断し、方針を変えていく事ができないのです。
兵站は重要です。日本人は後先を考えずに、「半年や1年くらいは暴れて」といった見通しで戦争を始めます。東アジアや日本海あたりでの戦いなら、距離がさほどでも無いので、泥縄方式の兵站でも何とかなります。ところが遠くなればなるほど兵站の弱さがネックとなって来るのです。
湾岸戦争で後方支援の指揮をとった中将も、著書のなかでロジスティックスにいかに気を配ったかを書いています。兵站は、末端の人間ではなく、トップの人間が考えるべきものです。
日本人は目に見えない段取りや、準備などを想像する事ができません。重要とすら考えていません。いきなり目に見えるような行動から始めるのです。
個人でも段取りが下手な人をよく見かけます。とりあえず手をうごかさないといけないと信じているので、いきなり細かい所から仕上げて失敗するのです。
試験では、量があって機械的に解ける問題を先に片づけていきます。それが限られた時間内で効率的に問題を解決する方法だと思っているのです。社会に出ると、低レベルの問題解決はできても、それ以上の事が出来ない人間となります。重要な事を初めに考えず、後回しにする連中です。
余裕しゃくしゃくで仕事をこなしている姿は好まれません。そうではなく、一生懸命にぎりぎりまで頑張っているフリをしなければなりません。リスクを小さいうちに潰すのではなく、火を噴く状態になってから大げさに立ち回る人が評価されます。
発注者は肝心なところを外注に丸投げしてしまいます。見積りさえコンサルや出向者に丸投げです。人件費は幾らでも値切れると思っています。彼らには末端の労働者も人間であるという想像力が欠けています。
チェックは細かく、契約内容にかかわらず無償で直すことを求めます。しかしながら要件定義から受け入れテストまで、いったい発注者が何を求めているのか謎のままです。イメージなど初めから持っていないのだから当たり前です。指揮もコンサルに任せきりです。何もやらず、考える事さえ、誰かに丸投げにするのが日本流です。
プロジェクト管理で何をしたらよいかは、PMBOKなどに書かれています。とはいえ、計画を立てても予想通りに行くことはほとんど無いので、PMには想像力や発想力、柔軟な対応が求められます。
PMと名乗る人は多いのですが、まともな人材は5%も居ません。要件定義は下手をするとただの御用聞きになってしまいます。その段階で破局が予想できてしまう事もあります。
リスクアセスメントが出来る人間も限られています。大抵は事が大きくなってから対応する事になります。受け入れ試験やリリース後に重大な欠陥が発見される事もしばしばです。客とベンダーの間でトラブルとなり、酷い場合には裁判沙汰になります。客にしてもベンダーにしても大赤字です。つくづく間抜けな連中です。
日本の人々は、自分で考えるよりは、命令に従い長時間の重労働をした方がマシだと感じている人々です。
こうした日本人の欠陥は、時系列に沿って考えられない事から来るのかもしれません。普通の人間は自然と、自分が認知した出来事Aと出来事Bを因果関係で結び付けていきます。昔の人々は、自然現象を見て素朴な神話や物語を作っていきました。近代になってからは、科学的手法が発達し、より厳密に因果関係を見出す事が可能になりました。
日本の映画「羅生門」でも、容疑者がそれぞれ自分の都合の良いように、はんば無意識に、ウソの物語を作り「法廷」で証言をしていきます。しかし現実の日本人は、こういった物語を作る能力さえ欠けています。
炎上すると、日本人は支離滅裂な言い訳を述べます。そしてそれが通ってしまいます。受け手の国民は、昔がどうだったか等は覚えていません。言い訳をする方も、時間軸に沿って一貫性のあるストーリーを作る能力に欠けています。
過去も未来もなく、ただただ現在を見て、場当たり的に対応していくのが日本人です。そんな日本人の中で、大久保利通だけは稀有な存在でした。明治政府の中枢にあって、数十年先を見据えて行動したのは彼だけだったかもしれません。徳川幕府も、政敵も盟友も、結果的に彼のために踊ることになったのです。
しかし西洋に追いつくために実学だけを重視した結果が、15年戦争を経ての敗戦です。人材、人財と言いながら、自分たちの都合の良いような奴隷教育を続けていった結果が、いまの日本人を生み出しています。
人々は従順で考えることができません。振付師に煽られて、考える真似をしようとすると、想像力に欠けた哀れなネト〇ヨになってしまいます。「普通の日本人」と称する異常な人々です。言っている事は滅茶苦茶です。しかし相手が振り向いてくれるまで執拗に絡んで来ます。
意志は強いが、頭が弱いというのは何という悲劇でしょうか。彼らの暴走癖をとめ、変えるには、やはり教育しかありません。しかし「普通の日本人」にそれが出来るでしょうか?