kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

現代でも相変わらず人力が頼りの日本

日本人は人力だけが頼りです。もっと言えば精神力という曖昧なものに頼っています。これだけ便利な世界になっても、すべて人力で押し通そうとします。機械やICTによって構築されたシステムは、人間の負荷を軽減し、作業を効率化するべきものです。ところが日本人はそれを分かっていません。却ってこれらを、人々をさらに使役する道具として用いるのです。

 

太平洋戦争初期において、大日本帝国陸軍は、機械化された軍隊というものを理解できていなかったようです。効果的な機器の運用により、自軍の無駄な犠牲を防ぐ、といった考えが微塵もなかったのです。あくまで主体は人間であり、各個人の勇気や精神力を重要視しました。そして最後は蛮声を張り上げて敵陣地に突撃し、銃剣を使った白兵戦で決着をつけようとしたのです。

ところが米軍の、高度にシステム化された圧倒的な火力を目のあたりにすると、魔術に遭遇した未開人のように、恐怖に駆られて敗走してしまうのです。しかし「転進」から日を置くと、何があったのか分析したり学習することも無く、また無駄な突撃を繰り返すのです。

現代ではさすがに「大和魂」と叫ぶ人は少なくなりました。しかし精神力に重きを置く考えは変わりません。「絆」とか「おもてなし」といった、意味不明だが各個人に無限の責任を負わせることが出来る言葉が大好きなのです。

 

現代の社内システムのIT化においても、日本人は何の目的で何をしているのか、さっぱり分かっていないのです。

なるほど、確かに最新の技術を用い精緻な設計を行い、そこに信じられないほどのカネと労力と時間をつぎ込んでいます。形式上残業時間を減らすために、勤怠も自発的に改ざんしています。こうしてQCDを厳格に守っているのです。

しかし彼らには、独創性や裁量権はほとんど無く、一言一句、上から言われた通りに、正確に速く、最大の集中力をもって、同じ様なことを繰り返す能力が求められています。ミスはひとつとして許されません。個人の無限の精神力、頑張りだけが頼りです。

出来上がったシステムのユーザーインターフェースは洗練されておらず、人に負荷をかけるようなものになっています。それに加えて「あれもこれも」と投入する項目が増えていくのです。結局、エンドユーザーも、システムに多くのデータを期日までに投入することが求められ、仕事はどんどん増えていくのです。

何のことはない、日本の社会に付き物の、複雑で統一のとれてない雑多なローカル・ルール、それがそのままシステム化されてしまったのです。投入されたデータは必ずしも、高度な分析の対象となるわけでもありません。ただ管理、チェックの道具として使われている事が多いのです。

こういった日本のシステムには「~ねばならない」「~すべきだ」という発注者の雑多な思いが、吟味されることなく込められています。さらにシステム化しても、従来の習慣は残ったままなのです。これでは仕事が増える一方で、効率化は遠のくだけです。

 

こんな事を繰り返して来て、果たして日本人は豊かになったのでしょうか。あいかわらず狭くて、買うには高いが資産価値のない住居に住み、満員電車で通勤し、多くの時間を意味のない仕事に捧げています。休日になるとパチンコのようなお上公認のギャンブルで時間をつぶす人が沢山います。彼らは仕事も娯楽も上から命令されなければ、何をしたら良いか、思いつくことも出来ない人達なのです。

確かにTV、洗濯機、冷蔵庫、炊飯器、エアコン、自動車は多くの家庭にあります。それに加えてスマホやゲーム機という娯楽も与えられています。しかし、それがどうしたと言うのでしょうか。連中は決して幸せそうな顔をしていません。ただし他人を虐げる時だけは嬉々としています。「イジメ」こそは、カネのかからない、日本人が最も好む娯楽なのかもしれません。

 

よそ者を虐待し、仕事や災害を通じて全員が一緒に苦しむことで、彼らの間に「絆」が生まれます。「死ぬ前に休むな、死んでから休め」「死ぬまで呼ぶな、死んでから呼べ」というような命を度外視した指示に、彼らは無表情で従います。

機械のような存在ですが、「ロボット工学三原則」にある「自己防衛の原則」でさえ、日本人は殆ど認められていないのです。日本人は使い捨てのマシン以下なのです。言ってみれば、日本人は、次の三原則で動いているようなものです。

(1)日本人は上の命令に服従しなければならない

(2)日本人は他人に迷惑をかけてはならない、ただし第一条に反する場合はその限りではない

(3)第一条および第二条に反しない限り、日本人は自分を守ることができる

 

そんな彼らこそが、日本が誇る「人材」なのです。それらは確かに日本国の強みでもありますが、また同時に日本の限界ともなるのです。