kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

カネに振り回され短期的な見方しかできなくなった日本人

「健康で文化的な最低限度の生活」を営むのに、この国では一体いくら必要になるでしょうか?
 
人々は生活費に加えて、高い税金を払っています。ひねくれた見方をすれば、人々は生まれきたことへの代償として、数千万円以上のカネを死ぬまで払い続ける定めにあるとも言えます。所得税都道府県民税と市町村民税、健康保険税、固定資産税、国民年金保険、雇用保険、二重三重に課税される消費税などです。貨幣価値を考えれば、かってない程の重税を現代の庶民は背負わされているとも言えるかもしれません。
息をするだけでは生きていけませんから、さらに、家賃や食費、移動費、受信料、ガス代、水道料金、電気代、通信費がかかります。クルマを取得すれば自動車取得税自動車税自動車重量税自動車保険、ガソリン代、修理費用が必要です。死によってのみ、人々はやっとこの負債から逃れることができます。
 
「生きてるだけで丸儲け」というポジティブな見方もできます。しかし人生の終盤でも果たしてそんな事を言って居られるのでしょうか。「人生とはこんなものだったのか」という思いで死んでいく人達も大勢居るのです。背負っていくもの以上に、人生が楽しいものだと感じられれば、その生は、その人にとって意味あるものとなるでしょう。
 
この国の人々は自分の生活だけでなく、他人の事を異常に気にします。彼らは社会保証を得ようと試みる人々を罵倒したり、白い目で見たり、執拗な嫌がらせをしたりします。それでは、そういった人々が慎ましく弱者らしくしていれば援助をするのかと思いきや、何もしないのです。口先だけで「大変だねえ・・・」などと言いますがそれだけです。弱者のクセに都合よくカネを貰う奴がいると聞けば彼らは全力でこれを妨害しようとします。
 
こういった人達にとって、「日本スゴイ!、俺もすごい!」というマスターベーションは必要なのかもしれません。確かに躁的防衛も必要です。気持ちは分かります。しかし彼らはどうしても他人が気になります。「日本が嫌いなら出ていけ!」「在日や外人は出ていけ!」「学校が嫌なら辞めればいい」「親の言う事が聞けないなら家を出ていけ!」と彼らは言います。頭の足りない人達の言う事は、いつも判で押したように同じです。
ちょっとでも何かを指摘すると日本が嫌いな人になってしまうのでしょうか? 否です。仮に日本を嫌いだとしても直ちに日本を出ていかなければならないのでしょうか? 断じて否です。
それでは日本を良くしようとしている人々の口を封じようとする彼らは日本を愛していると言えるでしょうか? 「日本大好き!」と自称するが、その実、自分とは異なる他の人々を差別し、暴言や実力行使によってシステムを破壊しようと試みる人達が、そうでは無い人々を追い出す権利があるでしょうか?
 
頭が足りないだけでなく頑固でもあるという者は、どうしようもありません。ほおっておけば自然に治るとか、叩いてみれば良くなるというものではないのです。悪くなるばかりです。視野が狭く、短期的なものの見方しかできず、古い価値体系に固執し、それを守るために妄想を作り出してそれに酔い、傲慢で人の言う事を聞き入れない攻撃的な人々です。彼らは理非善悪を弁識できるかどうかも疑わしい人達です。幸いにしてSNSの発達により、こういった者達を容易に判別できるようになりました。
 
人々が生活するにあたっては、自分の中に感じられる可能性が希望を生みます。そして希望が活力を生み出します。人の幸せは、常に変動していく環境の中で如何に自分の身の回りに幾つもの安定したシステムを構築するかにかかっています。相互作用によって、カネや愛情が安定して巡り廻り、その中で、人々が自分の技を用いて、自分のやりたい事ができ、その事に意味を見出せるような環境です。このシステムが脅威にさらされたり壊れたりした時に、人は不安を感じます。
 
何か既存のシステムに便乗するのが一番楽なやり方ですが、それだけでは社会は停滞してしまいます。既存の枠組みの中で新しいシステムに挑戦できるような仕組みも必要です。人は水と同じで何かに向かって常に動いていないと淀んでしまいます。
 
人間は、物事の背後に、構造や仕組みやメカニズムを見出だして、それを利用する能力を持っています。しかし日本人は、こういった能力が弱いのかもしれません。目先の短期的な利益に振り回されずに、多様性を許容し、その中から絶えず新しいシステムを作りあげていく人々が、これからの世界でも生き残っていくのです。
 
"損をするという事が彼には何よりも恐ろしかった。そうして目に見えない損はいくらしても解らなかった。"  "彼はこうした不安を何度となく繰り返しながら、昔しから今日まで同じ職務に従事して、動きもしなければ発展もしなかった。~あたかも変化を許さない器械のようなもので、次第に消耗して行くより外には何の事実も認められなかった。~「みんな金が欲しいのだ。そうして金より外には何にも欲しくないのだ」 こう考えて見ると、自分が今まで何をして来たのか解らなくなった。"
夏目漱石 「道草」