kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

日本人の男女関係

男女関係を見てみると、日本人の人間関係の問題が浮き彫りになるようなところがあります。

日本人は愛情が薄く自閉的な傾向を持っています。人と付き合いたくないのかと思えるくらいです。以前は欲望や集団の圧力によって交わっていたのが、家族を持つ必要性が薄くなった現在においては、個人で生活するという、本来の姿に戻ったとも言えそうです。

 

スパイを描いた映画「レッド・スパロー」で教官が、ハニー・トラップについて、肉体的な技術だけでなく相手の欲望を見定め、それに合った心理操作が必要だと述べる場面があります。ターゲットとなる男性の中には同性愛者や、娘の代わりに女性と食事をするだけで満足する者も居るのです。「愛される」とは、「見られ、認められ、孤独では無いと感じること」だと教官が語ります。シンプルですが分かり易く実際的な定義です。

 

日本人も人間である以上、「孤独では無い」と感じたい欲求があるはずです。しかし彼らの場合、それを満たしてくれるものは、必ずしも家族であったり、異性であったりする必要は無いのです。安定した勤め先に帰属している事が、同僚と時々酒を飲めるという居心地の良さ、毎日通って暇を潰すことの出来る場所があるという安心感につながっているのです。日本人でもパートナーや家族を大事にするという人は居るでしょうが、多くの人にとってその重要性は相対的に低いのではないでしょうか。

 

さらに日本人は「愛する」という行為も苦手です。「相手を見て、認め、安心感を与える」、こういった事が出来ない人が多いのです。

ですから日本人は、実際の人間を愛したり、眼前の人々から愛されたりするよりは、抽象的な「日本」や役所、企業、あるいは主張や意見、趣味趣向を同じくする集団に属する事で満足を得ようとするのです。

 

男女関では互いに相手の欠点ばかり見ていて、なかなか相手の良い面を認めようとしません。「生理的に好きになれない」というわけです。これでは候補と感じる理想の相手には、なかなか巡り会えないでしょう。好きになっても、相手に対して一貫した気持ちで継続的に関与し続けるという事が出来ないので、カネや魅力がなくなったら「ポイ捨て」という事にもなりかねません。また、相手の浮気は許さないが、自分は欲望のままに振舞うなど、要するに日本人は自分の事しか考えて居ないのです。

 

日本人のあらゆる人間関係と同じように、男女関係でも上下関係というのが付いて回ります。男性は女性という奴隷を求め、女性は子供という意のままになる奴隷を求めます。こういう異常な「支配ー依存」関係は、構成員が病的な性格でそれに満足している場合にだけ上手く行きます。満足して居なくても、他に居場所が無ければ我慢する他はありません。男性は勤め先に依存し、女性は家庭に依存します。

 

愛の薄い日本社会で人々は、愛の代わりを得られる帰属先、すなわち、安心できる居場所を求めて彷徨います。肉体的欲求の満足、心理的、経済的な安定を求めていますが、それら全てを家族で補う必要は無いのです。年を重ねるにつれ、収入が安定していない女性の場合、経済的な不安が大きくなり、一発逆転を狙うようになります。男性の場合は心理的な安定を求めるようになりますが、より従順な相手が理想となります。かくしてすれ違いが続きます。

 

昔の日本ならば、欲望のまま、若気の至りで結婚しても「どうにかなるだろう」という見通しがありましたが、今やそんなリスクを取る事は出来ません。将来に渡ってより経済的に安心感のある相手、より経済的に負担とならない相手を、よくよく見定めて選ばなければなりません。「可愛い、綺麗、格好いい」で早計に結婚、妊娠しては人生が詰んでしまうかもしれません。経済的な安定感が無く「可愛い、綺麗、格好いい」という水準にも達して居ないような人間は眼中にすらありません。

 

日本人がかろうじて子供を作って来れたのは、不倫や強姦に寛容な社会、社会の経済的な安定感や希望の存在、勤め先や近隣社会による結婚への圧力、男性は家庭を顧みず、女性が身を粉にして家族の為に働く事が社会常識とされてきたこと、若い女性が一人で生活するというのが考えられない社会であったことからでしょう。

日本人は「愛情」などと言う要因で結婚したり家庭を持ったりはしません。

現在の日本における未婚や小子化という問題は、もともと内在していたものが単に表面に現れて来ただけなのです。