日本人は自然から法則を読み取ったり、それを何かに応用するというのが苦手な人達です。
昔の人々は、重いものを斜面を使って引き上げ、斧やくさびを使いながら、それらに共通する斜面の原理を見出しました。またアルキメデスは、テコで地球を動かせると言ったとされますが、法則を抽出し、頭の中で実験を繰り返し、実際の工具や機械に応用して、最終的に並外れた物を作り上げる、そういった頭の使い方は、日本人にはあまり見られないものです。思想や考え方は武器となるのです。
ケルト(Celts)系の人々は、現代とほとんど変わらない巧みな農耕器具や道具を産み出しました。ローラーベアリング(Roller bearings)も乗り物で使われていました。
社会規範においても、自分達が守るべき理想の「法」を見つけ、誰か個人の恣意ではなく、法に従う事を自ら選び、それを誇りとした民族が居ました。また、彼らは自分達の理想を神として投影したり、人の意のままにならぬ出来事は、絶対的存在として神を置き、それが運命を司るという考えを持っていたりしました。(日本のように、あきらめや思考停止の道具として運命を捉えるのとは違うものです。)
以前、日本の戦闘機「疾風」を所有していたアメリカ人が好意で、飛行可能な機体を日本に引き渡したものの、ろくな整備もされないまま朽ち果て、とうとう飛行不能になってしまったという話がありました。日本人が誇りに思っているゼロ戦にしたって、整備して直ぐに飛べる機体、また飛ばせられるパイロットが日本には無いのです。
メインテナンスを行う組織や人が公的なものとして存在しないと、自発的に過去の遺産を保存していくという事も出来ないのです。「零戦整備士」でも設けて、さらに補助金を出さない限り無理でしょう。文化遺産の価値も分からず、カネで釣らなければ、何一つ自分からは始められない人々だからです。この国では、誰かが新しい事を始めて、それが損得抜きに皆の賛同を呼び、広まっていくという事が無いのです。
この国のシステムにしても、何処かの国の人々が考えたものを移植して都合よく改修したもので、時間を経るに従い堕落して行くのです。システムは特定の人々が得をする巧妙な仕掛けとなってしまい、上手い汁にあやかる為の徴収、分配システムとして機能しています。
日本人はこういったシステムが何のために生まれて来たのかを結局理解しませんでした。ただ国を束ね、国民を動かし、戦争が可能な強い国になるという目的しかなかったのです。一貫した思想も倫理も道徳も無いので、やりたい放題です。日本人は、表面だけの継ぎ当てをシステムに対して行います。「猿真似」「コピペ」「切り貼り」「パッチ」が彼らの得意技です。
気の利いたプログラマーは一種のバックドアを作っておきます。後々のテストや障害解析に便利だからです。気の利いた役人は法律を作るときに抜け穴や曖昧な部分を作っておきます。自分達の恣意で物事を運んだりその仕組みから利益を得るためにです。
創造性や一貫性に欠ける日本人は、こういったシステムを是正したり、より良いものに改良していく事が出来ません。そもそも彼らは信念や思想に従うのではなく、力の強い人に従ってしまうのです。
普段は臆病で何一つ変えられないものだから、強権発動による変革を喜んで受け入れます。「どうせこのまま悪くなるのだったら、一か八かこれに賭けてみたい、おこぼれで御利益にあずかるかも知れないし・・・」等と考えてしまいます。
もしもこの地球に日本人しか居なかったら、彼らは6千年かけても現代の自動車のようなものを自ら作り上げる事は出来なかったでしょう。
またもし、最高のシステムを日本人にそっくり手渡したとしても、直ぐにそれは腐敗し崩壊していくことでしょう。
日本人は物事の裏にある法則や、内面的な美しさ、理想を見ることの出来ない精神的な盲目状態にあるのです。