日本は急速に貧困化しています。地方に行くと、荷物を満載したカートをひいてあてどなく歩く着膨れしたオバサンを見かけることがあります。都心でも昼頃になるとマンションから、口を半開きにし腰を前に突き出した老人が放心したようにコンビニへと向かっています。
かって「金の卵」と呼ばれ、都心の周辺に移動してきた子供達は、もう老齢です。かっての仲間や友は死んでいき、近所付き合いも最小限です。子供は独立し家庭を持っています。電話やネットはあっても、本当に頼れる相手はほとんど居ません。
インフラが十分に整備されている事が前提である、核家族や一人暮らしは、移動手段が無い、食料を買える場所がない、病院が遠い等の要因によって、次々と崩壊し始めています。便利で自由な生活になるはずでしたが、社会的に孤立し、病気の不安や惨めな死が思い浮かぶようになります。
映画「真夜中のカーボーイ(Midnight Cowboy)」では、ダスティ・ホフマン(Dustin Hoffman)演じるホームレスが、不健康な生活を続けた結果、ついに歩けなくなります。気ままに生きて来た彼も、初めて恐怖に襲われ「怖いんだよ」と相方にすがりつきます。もはや一人では食料も調達できず、排泄もままならず、路上に出ても襲われてゴミのように死んでいくだけなのです。
健康なまま、ある日突然ポックリ逝けばいいですが、そう上手くは行きません。食べるものは重金属や放射性物質、化学物質で汚染されています。自販機はまがい物のコーヒーやジュースばかりです。まともな食料が無く、しかも不足しているという、SFが描いたような世界が実現しています。
次第に体のあちこちが壊れていき、何か新しい事を始める能力も、気力も無くなり、糞便まみれで孤独に死んでいたり、トイレの中で埋もれる様に死んでいたりします。「定年が無くなり、死ぬまで働けるなんていいじゃないか」と考えている人もいますが、それは運のいい一部の人だけです。
外国人を受け入れて安楽死を助ける業者は世界でも限られていますが、これからの日本は、合法化した上で末期医療と安楽死を売り物にするといいかもしれません。安全に死ぬには専門家の助けが必要です。準備や後始末を行うコーディネーター(coordinator)も必要でしょう。最後を過ごせる豪華な施設もあった方がいいでしょう。
死後、自分の臓器を提供する事で医療にも貢献できます。映画「ソイレント・グリーン(Soylent Green)」のように、そのうち遺体を食料品に加工する日もやってくるかもしれません。
近代文明始まって以来の、死を積極的に容認する社会の到来です。宗教や倫理に縛られない日本だけが行える偉業でしょう。人の命がかってないほどに軽くなる、どんな社会となるのか興味深いものがあります。