優れた道具や機械には、共通して感じられる、ある特性があります。
そういった道具は、操作に対する反応が「良い」のですが、これは必ずしも反応が速いということを意味する訳ではありません。例えばピアノの鍵盤を押さえハンマーが弦を叩いて音が発生するまでには、タイムラグがあり、さらに複数の感覚器官から脳に信号が送られ、それらが統合されて認知に至るまでにも時間はかかります。しかしその遅れは比較的安定しているので、人体の方で余計な調整が要らず、混乱はしないのです。
ギターのアンプは今でも真空管のものが好まれますが、その理由として、小さい信号が比較的正確に増幅されること、大きな信号で音が歪んでもそれほど不快ではないこと、さらにトランジスタに比べて反応が速いというのがあります。トランジスタの増幅器だと、弦を弾いて音が出るまでに少し遅れがあるので最初は違和感があるのです。しかし直ぐに慣れるので、遅れること自体はそれほど大きな問題ではありません。小さな入力から大きな入力まで、「正確に反応するように感じる」という点が重要です。
人が混乱し不快に感じるのは、道具を使用してその結果が出るまでの時間が速くなったり遅くなったりする場合です。例えばPCやタブレット、スマホを今ではツールとして多くの人々が使用していますが、Webを参照する時はもちろん、単なる日本語入力でも、反応が安定しないことがあります。昔は専用線を使ってもアクセスに大変な時間がかかりましたので、それよりはマシですが、回線速度や、サーバー、端末の性能が向上しても、数字は best effort に過ぎず、それらに比例して速くなったという印象はありません。それどころか、回線の状況や、複雑になるOS、常駐するアプリ、増えるトランザクション、メモリやCPUの負荷状態により「遅い」とフラストレーションを感じる事の方が多くなっています。
機械として、クルマを例に挙げると、座席後方にエンジンがある車は、独特のダイレクト感があります。FRですとクランクシャフトからクラッチを通して、変速機、そして長いプロペラシャフトがたわみながら動力が後ろまで伝わり、ディファレンシャルギアを介し、ドライブシャフトを通じて車輪に回転が伝わり、さらに車体全体が後ろに沈み込むことによってようやく加速が始まります。
しかしMRやRRの場合は、プロペラシャフトや重心移動によるタイムラグが少なくて済むわけです。
もちろんアクセルペダルの動きが伝わるまでの方法や燃料噴射方式、あるいはエンジンのトルクバンドによっても違いがあるので、一概に反応が良いと言えない部分もありますが、このダイレクト感というのは容易に人の感覚で捉えられるものです。
その一方で、機械が何時も敏感に反応すれば良いという訳でもなく、ステアリングやアクセルペダル、ブレーキペダルは若干重めにすることで、ドライバーが、しっかりとした意思を持って操作した時にだけに反応するようにし、結果としてクルマの動きを安定方向に持っていくという方法があります。
ちなみに、50:50に近い理想的な重量配分で、サスペンションが硬め、車体の重量も軽いようなものは、鋭敏な感覚と的確な判断力が無いと危険なクルマだったりします。車体の動きを感じ難いのです。
丸い時計の文字盤を思い浮かべてみると、円周に近い針の部分は大きく移動していますが、中心に近い部分は小さく移動しています。上のようなクルマはこの中心部分にドライバーがいるようなものです。昔在った様な硬いだけのサスペンションも動きを捉え難くなります。結果として、本人が気づかないうちに、スピンしたり、フロントがロックしたり、コーナリングで限界を超えてしまったりという事が起こり得るわけです。さらにガソリンタンクの位置や量によっても挙動が敏感に変わったりします。
これに対して重心がフロント寄り、あるいはリア寄りの車だと動きは増幅されてドライバーに伝わります。後方にエンジンがあるものは、日常ではデメリットの方が多いので、FRやFRベースのAWDが、よりドライバーに親切なクルマとも言えます。
要するに、人が優れた道具に対して無意識のうちに持つ安心感や信頼性というのは、操作に対する反応速度が一定しており、結果を予想しやすい事、操作に応じて出力を自在に制御できているという感じがあること、さらに異常があればそれを直ぐに感知できる点にあります。手足の延長として、そのようなものを備えて居なければ理想的な道具となり得ません。
昔のケルト系と呼ばれた人達は道具を作るのが得意で、彼らが作り上げた様々な機械は、現代のものと基本的に大差ない形をしていたりします。機械を作る場合、経験によって知られていた物理法則に従い、目的に応じた機構を考え、設計し、部品を作り、それを組み合わせるという各段階をしっかり行う事が必要です。そもそもの発想が間違っていたり、設計が拙かったりしたら、不具合が出た段階で、最初からやり直しです。築城に携わり複雑な武器を作ってそれを操作するエンジニアというのは、中世では非常に重宝された存在でした。
今ではプログラムによってコンピューターにいろいろな事をさせることが可能になりましたが、それらが問題なのは、設計が適当でも気づかず、最後に異常が発覚するという事態がしばしばある点です。いい加減な設計書をもとに、適当にコーディングをし、コンパイルエラーが無くなり、テストを完了した旨の書類を作って、組み合わせてみたが動かなかったという事があるわけです。
設計もプログラミングも本来は高い能力が必要とされるものですが、人件費は安く抑えなければならず、良い人材は集まりません。ハードは言い値で受け入れてもらえますが、ソフトはそうはいかないのです。こうして質はどんどん低下していきます。ソフトのバグは、一見しただけでは不具合が何処にあるのか分からず、解析が非常に難しいことがあり、社会的影響が甚大な場合は危機的です。
機械であれば、反応のちょっとした遅れや手ごたえから、異常を察知することができました。ところが電子機器だとある日突然故障し、冗長化されていなければ、一箇所の不具合によって全てが動かなくなることもあります。電子機器によって現代文明は便利になりましたが、その分、大きなリスクを抱えています。
さらに、システムにおける最も大きな脆弱性はインターフェース部分にありますが、特に現代のマンマシンインターフェース( human machine interface )は今でも洗練されているとはとても言えず、人々に大変な負荷をかけています。度々変わる仕様、安定しない反応速度、これらが人々の精神に与えている影響は無視できないものがあります。