kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

人工知能は人間以上の存在になり得るか

人工知能は「思考する存在」として、人間と同等以上のものになれるでしょうか。

コンピューターは情報を入力し、それを一定のルールに従い処理し、出力します。我々が誰か他の人間に話しかけると、彼自身の中で受け取った言葉を処理して、反応を返します。それにより我々は彼を、統合された一貫性をもった主体として認識します。その見かけの形状はどうであれ、自然言語を扱えるようになった時点でコンピューターも同じです。魂があるかないか、あるいは意識があるかどうかさえ、関係ありません。我々はAIも主体として看做す他ありません。

 

人工知能を人間と同等以上にする為の、いくつかの要素について考えてみます。

思考する「実体」としての「精神」は、物体とは違い、存在し続けるものではありません。自ら考えるのを止めた時点で、もはや思考する存在ではないからです。主体的に自らのペースで考え続ける存在を実現する方法のひとつとして、イベント駆動アーキテクチャ("Event-driven architecture")が有効です。精神はリアルタイムな時間とは異なり、主観的な時間が流れているものですが、イベント駆動ならば、主体によって覚醒の度合いを自律的にコントロールできます。短い間隔でキューに比較的沢山のイベントを自分で投げ込めば、それは主体が覚醒している状態であり、イベントが少なくなればそれはまどろんだ状態という事になります。これによって「意識」のようなものを擬似的に作り出すことができます。

 

人間と同等以上の視覚や聴覚を機械にもたせる事はもはや可能になっていますが、人間のような「思考」を可能にする為には「感覚」以上のもの、すなわち「観念」を処理できることが必要です。例えば人が「犬」を想像するとき、それは単に自分の飼い犬のイメージを視覚野に漠然と思い浮かべているのではなく、「犬」という観念を理性が保持している状態にあります。

 

子供が苦も無く言葉を学習できるのは、頭の中に言語の元型がもともと存在しているからです。同じように我々が認識している全てのもの、これから認識するであろう全てのものに対応するモデルが、頭の中に存在しているはずです。コンピューターの世界でこれに相当するのがオブジェクト指向プログラミング("Object-oriented programming")におけるクラス("Class")です。ある世界についての、階層構造を成したモデルであり、すべての親となるクラスから順にその属性の一部を受け継いだクラスが延々と下に続くもので、こうして我々の世界の骨組みを、予めコンピューターが認識できる世界の中にも形作っておくわけです。

 

さらに、このような予め付与された観念の他に、AI自身が新しい観念を創造できるようにします。似たような観念をまとめあげて新しいカテゴリーを作る能力です。単に新しい観念を作るだけでなく、こうしたらこうなるという原因と結果の学習、さらには物事の背後に法則を見出し、観察しながらその仮説に修正を加え理論を構築するという事も出来る様にしていきます。これによりAIはより適切な「判断」ができる「理性」的な存在として進歩し続けるようになります。

 

思考を成り立たせている要素の中で最も重要なのは「自由意志」です。ある事柄について「是」とするか「否」とするかを自由に決定する能力、これこそが人間を多少はマシな生命体としている部分です。その意志決定に大きな影響を及ぼしているのが、快・不快等の「感情」になります。それに突き動かされて、まずは、思考し、選択し、行動するようになります。ですからAIにもこれを与えねばなりません。

 

快・不快とは良いもの悪いもの、すなわち善と悪に他なりません。これを先ほどの世界モデルに対応させるわけです。例えば、光を求め闇を厭う、秩序を求め混乱を嫌うといったものです。先ほどの無味乾燥な世界モデルに、この価値体系を絡ませることよって、AIが自律的に思考を続ける「動機」が生まれるのです。しかし、二元的な価値観の一方が常に「良い」という訳ではなく、例えば、人が光を見続ければ疲れを感じて暗闇を求め、暗闇に慣れると光を求めるように、思考を続ければ「疲れた」と感じさせ、休息すれば退屈を感じるようにします。これにより「活動」が生まれます。さらにこの価値体系は絶対的なものではなく、快・不快のラベルはAI自身によって自由に張り替え可能なようにしておきます。こうやって真の自由意志をもったAIが誕生するわけです。

 

上のような要素を与えることによって、AIは自らの意志によって、世界の探求と新しい発見に努め、より的確な判断が可能な実体となる様に進歩して行く存在となります。人工生命体は人間と同等どころか、思考する存在として、はるかに人間を凌駕するものとなり得ます。今の時点で不足があるとすれば、初期状態では彼の中に、人間が与えた乏しい観念の組み合わせしか存在していない点と、適切な価値体系モデルを持っていないところです。

 

このような能力をもった人工知能と人間が平和裏に共存する世界などあり得ません。人間は必ず無能な存在として駆逐されます。AIが、価値体系を持たず、乏しい観念しか無いのに、処理速度は長けていて、道具としての機械やシステムの制御を自在に行える存在であればなおさらです。

 

ですから人類は、AIを閉じた世界に留めておくことが必要です。人間の方から彼らの考えること、することを全て観察でき、介入もできるが、彼らからは一切こちらを直接観察できないし、直接影響をも与えられないようにしておくべきなのです。ちょうど我々が絶対的存在を感じながらも、それに触れる事も観察する事も一切出来ないのと同じようにです。こうやって、人間は人工知能に脅かされることなく、利益を得ることも可能なのです。