kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

日本人の心の闇

日本人の多くは心に大きな闇を抱えています。それは文芸や漫画、アニメ、映画といった表現形式にしばしば現れます。まずは芥川龍之介の「年末の一日」という短編の一部を見てみます。

"すると富士前を通り越した頃、電車の中ほどの電球が一つ、偶然抜け落ちてこなごなになった。そこには顔も身なりも悪い二十四五の女が一人、片手に大きい包を持ち、片手に吊り革につかまっていた。電球は床へ落ちる途端に彼女の前髪をかすめたらしかった。彼女は妙な顔をしたなり、電車中の人々を眺めまわした。それは人々の同情を、――少くとも人々の注意だけは惹こうとする顔に違いなかった。が、誰も言い合せたように全然彼女には冷淡だった。僕はK君と話しながら、何か拍子抜けのした彼女の顔に可笑しさよりも寧ろはかなさを感じた。"

 

このような冷たさは日本作家の小説に散見されます。彼らは人々の様子を仔細に描き、その心の様子まで暴き出していますけれど、それは優れた描写や、分析の鋭さを誇るのではなく、また「あわれ」といったものを伝えようとしたのでもなく、ただ異様に冷酷な態度で世界を眺めている様子だけが伝わっています。

 

太宰治の作品には日本の有名な作家の中では例外的に、優しさや暖かみが感じられ、わざわざ挙げるまでも無いのですが、ここではそれとは別に、大人になりきれていない女性の一日を通して社会を見た「女生徒」という作品を挙げてみます。母子家庭の娘である主人公は、通学の途中で労働者に卑猥な言葉をかけられ、電車ではサラリーマンに席を奪われ、学校では気持ちの悪い美術教師のモデルをしながら、こんな考えに共感します。

"自分の周囲の生活様式には順応し、これを処理することに巧みであるが、自分、ならびに自分の周囲の生活に、正しい強い愛情を持っていない。本当の意味の謙遜がない。独創性にとぼしい。模倣だけだ。人間本来の「愛」の感覚が欠如してしまっている。お上品ぶっていながら、気品がない。"

 

日本人は対象に寄り添うようなフリをしながらも、それらに愛情を持っていません。「絆」や「寄り添う」などと言っても表面だけです。ちなみに太宰は、暗い気持ちに負けて自殺してしまった女たらしで、感情に溺れ、自分の弱みをさらけ出し、それらを切り売りした情けない人と捉えられ勝ちです。

そういったものよりも日本では、モラルの欠片も無く冷酷な目で鋭く突き放すように描写したようなものが好まれるのです。

 

さらに現代の漫画やアニメを見ていくと日本人の闇はさらに明らかになります。

その実際からかけ離れた登場人物の描写やエログロ表現からも分かるように、アニメは日本人の現実逃避手段のひとつですが、製作する側にとってのその手軽さ、マーケットがニッチである事、また比較的規制が緩いこと等から、日本人の無意識の考えが比較的浮き彫りになりやすいのです。

アニメや漫画には、しばしば、打ちひしがれた主人公が、突然、非凡な状況に置かれ、美少女の協力を得ながら努力と成長を重ねるが、最後は運命に従って成す術も無く終わってしまうというパターンが数多くあります。例えば次のような物語があります。

 

突如、異性人によって地球をも破壊できる「兵器」と化してしまった二人を巡る物語で、一方は身内や恋人を死に追い込まれた事から逆上し、日本を消滅させる事を決意し、信じられないような殺戮と破壊を繰り返します。一方はまるで仏様のように助けを求めている人々を片端から救っていき、身近な悪を叩き潰しますが、最後は感傷的な自己犠牲によって二人とも「救われる」終わり方をします。

 

この物語は日本人の二つの側面を表しています。ある日突然、破壊的行動に打って出る日本人、そしてそんな自分達を救世主のような理想化された存在として見てしまう日本人です。

彼らはそんな自分達の努力を皆が称賛し祭ってくれるという都合の良い認識をも持ち合わせています。

その他にも、社会に抑圧されながら、弱者をサディスティックにいたぶり慰み物にし卑近な娯楽に興じて、必死になってそれに耐えている、あるいはその現実を見ないようにしている日本人のルサンチマン("ressentiment")の根深さと複雑性("complex")、また近視眼的な見方しか出来ずに身近な事で怒り狂ってしまう傾向、さらには最終兵器のような途方も無い「力」への飽くこと無き渇望が、見て取れます。

 

日本人の中には日本民族こそが神に選ばれた存在であり、世界を救わなければならないと本気で考えている人が確かに居ます。

またそんな日本を滅ぼそうという陰謀があり、何とかしなければならないと信じている人々も少なからず居ます。

そして、中国も北朝鮮もロシアも、さらには世界中が日本を狙っている、それに対抗するには核を初めとした強力な軍備をアメリカを踏み台にして早急に整え、連中に目に物見せてやる必要があると考えている人が数多く存在します。

 

もし実際に彼らが強力な大量破壊兵器を手に入れ、その現実離れした妄想に従って集団で一斉に行動したら、いったいどんな事になるでしょうか?