もっとも非人間的な邪悪さというのは、効率的なシステムの中に存在します。開高健の「流亡記」には始皇帝によって作られた全土を支配するシステムによって、機械的に人々が殺され搾取される様が描かれています。しかも携わっている人間には悪意が無い為、自ら正すこともありません。
このようなシステムに比べたら、悪魔のほうが理性があり言葉が通用する分ましです。一方、効率性だけを求めた法律やシステムには釈明や情が通用せず、情け容赦なく組織的に整然と人々を苦しめ続けます。
「アウトサイダー」や「オカルト」などの著書があるコリン・ウィルソンのSF小説に「賢者の石」というものがあります。小説では、多くのオカルト現象は一種のシステムであるという考えが書かれています。人間を創り今は眠りについている知的生命体が太古の昔に、タブーに触れようとする人々に対して自動的に働くように造った精緻を極めたシステムだというのです。確かに怪しげな宗教や儀式、心霊現象に関心を持ったり関わったりしない限り、概ねそういった災いは起きないものですが、オカルト現象の多くは不条理ゆえの怖さがあり、システムが与える恐怖と似たものがあります。
多くの近代国家、特に日本は、法律やそれを支える大量の役人や暴力装置、そしてそれを支持する大勢の人々によって極めて厳格にシステムが動作している国です。多くの民は頭をからっぽにして言われた事だけに従うよう訓練されています。そのため社会が全体主義的で軍隊的な性質をもっています。
日本の強さというのは、末端に至るまで右と言われたら右、左と言われたら左というように、即座に命令に反応して上位下達で動く、一種の戦時体制に常時置かれている所にあり、それが「日本の奇跡」の理由のひとつでもありました。しかしもはやこのシステムは価値あるものを産み出せず、それ自体を存続させる為だけにあります。
通常、統制が行き過ぎた政治システムというのは全体主義国家や、大衆運動の一時期、戦争などの非常時にしか存在しないものですが、日本はそれが長きに渡り続いている異常な国家とも言えます。
このシステムから逃れるには、システムをつかさどる者の縁故になるか、この国から脱出するしかありません。抑圧された多くの人々は逃げ道を見つけられずに次々と自殺していきます。この国ほど不条理の悪や責め苦が存在する地獄に近い国はないのかもしれません。