日本人は意味の無い避難訓練や防災訓練が大好きです。日本の避難訓練というのは、まったく現実的ではなく、どこか儀式めいた、軍隊的な雰囲気があるのが特徴です。
日本のどこに居ても必ず遭遇する、あのサイレン音とナレーションを聞くたびにゲンナリする人も居るのではないでしょうか。あるいは何も考えたことのない人の方が多いのかもしれません。
統一と自己犠牲が必要な所では、日常生活が宗教化、軍事化されると述べたのは、エリック・ホッファーですが、日本の避難訓練というのは、自己を無にして共同体の統一性を確認するための儀式的行為であり、同時にそれを成員に叩き込むための軍事教練と言えるかもしれません。ですから実際に、訓練が効果的であるかどうか、現実に即しているかなどは省みられることはないのです。
上の指示があるまで、何があろうとじっとして動かない、指示があって初めて、強度の不足した無意味なヘルメットを皆で被り、調和を乱さず集団で規律正しくゆっくりと行動する、そして広場に並ばされ、儀式めいたスピーチで終了する、といった具合です。奴隷達が上の意向をくみ取って、真面目にこのような馬鹿げた行為を成し遂げる姿には驚嘆するものがあります。さすがカミカゼ・アタックやバンザイ・アタックを行った国民です。
避難訓練と言っても、何の事はない、これは何ひとつ自分では考えるな、黙って上のいう事をきけ、という訓練なのです。さらに上の連中も自分で決断できない愚か者なので、いざ災害に遭遇した際には悲劇的な結果になります。3.11の時は、津波が迫っているなか、子供達は学校の広場に長い間立たせられた後、波に飲み込まれて死んでしまったのです。
そんな教訓を人々は深く考えることもなく、今日も日本の至る所で、サイレンが鳴り響く中、頭を抱えてうずくまる訓練が繰り返されているのです。何も文句を言わない、何も考えない、ただ毎日を言われるがままに生きていく、そんな奴隷であることに安心しきった彼らの末路は悲惨なものになるでしょう。