kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

物理世界における時間と、精神世界における時間

物理世界における時間と、精神世界における時間は、まったく別のものです。時間が止まった物理的な空間をイメージする事はできます。しかし時間の止まった自己というのは想像できません。このように、自己の本質は時間と不可分だと分かります。

 

さらに時間の方向について考えてみます。物理的な空間を考える場合、過去や未来の空間への移動というのは想像できなくもありません。しかし自己における時間を考えると、過去の自己、未来の自己への移動は何の益もないように思われるのです。

 

例えば、過去の自己へ戻るというのはどういうことでしょう。未熟な過去の自己に戻る事は退歩であり、何の意味もありません。また未来の自己へ瞬時に変化するというのは、すなわち、現在からその時点までの経験を経た自己になるという事であり、結果的に、いま現在から、そのまま、その時点まで時間をかけて経験を得るのと何の違いもありません。このように、自己とは時間軸にともなって常に変化していくものであり、またその時間は過去から未来へと一方向にだけ流れているのです。

 

この世界を構築した存在からすれば、空間が時間に伴い変化していく物理世界は、言わば精神世界をシミュレートしたものと言えるかもしれません。そして自己、すなわち魂は、この物理世界には存在していないのです。しかし多くの人はこれらを混同しているように思えます。