物理世界における時間と、精神世界における時間は、まったく別のものです。時間が止まった物理的な空間をイメージする事はできます。しかし時間の止まった自己というのは想像できません。このように、自己の本質は時間と不可分だと分かります。
さらに時間の方向について考えてみます。物理的な空間を考える場合、過去や未来の空間への移動というのは想像できなくもありません。しかし自己における時間を考えると、過去の自己、未来の自己への移動は何の益もないように思われるのです。
例えば、過去の自己へ戻るというのはどういうことでしょう。未熟な過去の自己に戻る事は退歩であり、何の意味もありません。また未来の自己へ瞬時に変化するというのは、すなわち、現在からその時点までの経験を経た自己になるという事であり、結果的に、いま現在から、そのまま、その時点まで時間をかけて経験を得るのと何の違いもありません。このように、自己とは時間軸にともなって常に変化していくものであり、またその時間は過去から未来へと一方向にだけ流れているのです。
この世界を構築した存在からすれば、空間が時間に伴い変化していく物理世界は、言わば精神世界をシミュレートしたものと言えるかもしれません。そして自己、すなわち魂は、この物理世界には存在していないのです。しかし多くの人はこれらを混同しているように思えます。