kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。内容は逆説的、独断的な、空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールです。

「やらない善よりやる偽善」というウソ

 誰が言い出したのか、「やらない善よりやる偽善」という言葉があります。311の時には、多くの人たちが軽い気持ちで、この言葉に同調して寄付をしました。本当に、何もしないより、偽善を行ったほうが良いのでしょうか。「やる偽善」の問題点をいくつか挙げてみます。

 

(1)善悪の区別のつかない人たちが、善、偽善を語っている

善悪など誰にも分かりません、例えば日本人が善意で買うチョコレートのおかげで西アフリカの子供たちが大勢苦しんでいるのかもしれないのです。偽善となるとさらに区別がつきません。つまり何だか分からない行為を、ただ言われるがままにやっているということになります。ですから、この手のスローガンに納得してしまう人は、誰かが「これは偽善だがやるべきだ!」と言えば、盲目的にそれに従ってしまう人です。

 

(2)偽善行為で潤うのは、悪である

この世は悪(偽善)が土台となっています。誰が言い出したか分からない、しかしおそらく権力に都合の良い、このスローガンに従うことは、悪を利することになるでしょう。実際に311で寄付された膨大なおカネは、ほとんど被害者には渡らずに、行政、電力会社やゼネコン、怪しい業者の懐に入っていきました。多くの被害者は未だに惨めな暮らしをしています。どうしたのでしょう。「やる偽善で、この人たちを救うべきだ」という声は聞かれませんね(笑)

 

(3)信念ではなく、「やる偽善」という軽い気持ちで行う、その無責任さ

その行為が「善か悪か」と言われると、人は躊躇するものです。「善」は照れ臭いし、「悪」は嫌です。しかし「やる偽善」と言われると、まったく軽い気持ちで行うことができます。というのも自分で判断しなくても良いからです。ただ言われた事に従っていれば良いと、感じてしまうのです。ここに、このスローガンの悪辣さを見ることができます。

 

(4)自分で考えずに言われたことを集団でやるという、その気味の悪さ

ドイツ陸軍の軍人、ハンス・フォン・ゼークトは、軍人を「勤勉で頭の良い者」、「怠け者で頭の良い者」、「怠け者で頭の悪い者」、「勤勉で頭の悪い者」に分け、「勤勉で頭の悪い者」は「銃殺にすべきだ」と述べていますが、「やらない善よりやる偽善」とは、まさに「勤勉で頭の悪い者」を地で行く行為です。自分の頭で考えずに、他人に踊らされるまま集団で同じ行動を繰り返す、しかもそれを良いことだと思っている。オリンピックで日本選手が皆、瓦礫バッジを付けて歩いていたという世界の常識では考えられないエピソードを思い出します。

 

この世は偽善が支配する世界です。気力、体力のある者から搾り取り、病気になったり弱ったりしたら、治療をしてまた搾り取る。その現実を巧妙に隠すために各種のプロパガンダがあります。広告代理店や経済新聞は、現代の大本営です。彼らの掲げるスローガンを真に受けて、日本人は皆で大合唱をしています。「日本は凄い」、「世界に誇る日本文化」、「日本は四季があって素晴らしい」、「日本は平和な国」と。まあ、それで皆が幸せな気持ちになるなら良いのでしょう。