kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

DNA鑑定のいい加減さ

一般の人々は、DNAの型が容疑者と一致したという報道に接すれば、犯人が確定したと信じ込んでしまうでしょう。しかしこの判定方法にはいろいろと問題があります。

(1)DNA配列の全てではなく、ごく一部分を照らし合わせたものにすぎない

(2)DNAの配列の特定部分に見られる配列の反復回数が、個人によって異なるという仮説に基づいたもので、単にこの反復回数を数えているにすぎない。

(3)仮説に過ぎないので、同じ反復回数を持つ人がどのくらいの頻度で現れるのか、分かっていない。従って判定の正確さの確率もただの推計にすぎない。

(4)照らし合わせた一部分でさえも、パターンが全て一致したのではなく、不一致部分が存在することがある。

(5)一部分から全体を確率論的に有意水準に達しているかどうかを見ているのに過ぎず、有意でも偶然に過ぎないという事があり得る。

(6)1回の検査では、偽陽性の問題を免れることはできず、その判定は信用できない。

(7)そもそもパターンが一致するDNAが検出されたからと言って、その組織がそこに存在した、接触した可能性があると言っているに過ぎず、暴行や殺人の物的証拠とはならない。