kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

優れた兵士を作る秘訣は、馬鹿となるように教育すること

映画「フルメタルジャケット」では、過酷な海兵隊の新兵教育を垣間見ることができます。鬼軍曹が新兵に対して、「自分たちは価値がないこと」、「規則正しく生きること」、「自分で考えずに即座に命令に従うこと」等を徹底的に叩き込んでいきます。こうして士官や軍曹の命令に忠実なロボット兵士ができあがるのです。

 

兵士(ソルジャー)を馬鹿となるように教育する、実はその例を、いにしえの薩摩の郷中教育(ごじゅうきょういく)に見ることができます。

 

生麦事件に端を発する薩英戦争後、英国と薩摩は急速に距離を縮め、薩摩は明治維新へと突き進んでいきます。イギリス人の通訳アーネスト・サトウは薩摩について、「優れた人々で将来この国において指導的立場を担うであろう」というような意味のことを日記に書き記しています。

 

またある英国の外交官は、郷中教育について、「兵士に対しては常に『ぼっけもん』(馬鹿者)であることを要求する。こうして命令一下、死ぬことも厭わない兵士が出来上がる。しかしこのような教育を、あえて拒否し続ける者に対しては一転、将来指導的立場を担うものとしてまったく別の教育がなされる。」というような意味のことを書き残しています。我々が伝え聞いている郷中教育の内容や、「ぼっけもん」の意味合いとは若干違いますが、彼らが薩摩の軍隊教育をどう受け取ったかというのが分かります。

 

薩摩の郷中教育の一部は、日本の新兵作りや、国民教育へと受け継がれていきました。郷中教育はもともと的確な瞬時の判断力を重視するものでしたが、国民のほとんどは兵隊や奴隷でよいので、「ぼっけもん」作りが重視されたのです。

 

そして太平洋戦争で、日本兵の自爆攻撃やバンザイ突撃、中々降伏しないしぶとさを目の当たりにした米軍は、その秘密を探り、新兵教育にそのエッセンスを取り入れていったと思われます。