音楽というのはキーが同じであるならば、純正律の方が美しい響きを得られます。しかしあらゆるキーに即座に対応する為、また曲中での転調が不自然にならない為に現代は平均律が基本となっています。ピアノやギターは特別の理由が無い限り平均律で調律することが前提となっている楽器です。
しかしギターの平均律では、どうしても音の濁りを感じる場合があります。ポピュラーな楽曲でこの例を挙げてみます。
これはチューリップの「サボテンの花」という曲ですが、冒頭のギターの部分がちょっと調子外れに聴こえます。この曲のキーはト長調なのですが、イントロはドミソの和音(長三和音)とドファラの和音(下属和音)の繰り返しになっています。ギターの場合、ト長調でドミソが合うように調律すると、ドファラの音が濁ってきます。ラの音が高すぎてしまうのです。これがちょっと不自然な響きに感じる理由です。ギターは普通に調律するとこうなります。開放弦を使ったこの音形では、この矛盾は解決できず、ドファラで合うように調律すると今度はドミソの和音のソの音が低くなってしまいます。
同じ弦楽器でもヴァイオリンは音程を自由に変えられますが、フレットを打たれているギターはそうはいきません。単音ならば微妙に音程をずらすことも可能ですが和音を弾く場合は無理です。
ト長調で、ドミソとドファラの和音が交互に出るというのはフォークギターでは割と多いパターンです。サイモン&ガーファンクルの曲でもよく出てきます。次の曲は初期の「kathy's song」(キャシーの歌)という作品ですが、こちらは反対にドファラの和音が良く調和する様に調律されています。冒頭の0:05から始まる部分です。この調律のおかげで、1:00から始まる同じ音形の和音(Dsus4)も美しく響いています。
濁りのある和音があってもアコースティックギターのように共鳴する箱があると、美しい響きは耳やマイクに伝わるまでに増幅され、それほど不快感はありません。これはピアノも同じです。
難しいのはエレキギターです。音の濁りがそのまま残ってしまいます。さらにドライブさせたりして歪ませると、不快なうねりが強調されて聴こえてしまうのです。ソリッドなエレキギターの場合、パワーコードと呼ばれる5度との組み合わせだけの和音を使ったりして、出来るだけ少ない音を重ねて和音を作るのは、直感的にそれを感じているからです。
逆にこの不協和な響きもあえて使いこなしていったのがジミ・ヘンドリックスです。「ジミヘンコード」のような不安定な和音を使ったり、複音でのチョーキング、アーミングを使って生じるうねりを強調しているケースを彼の曲の中の随所で聴くことができます。