kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

なぜ祈りは聞かれないのか

神を信じようとする際、最初に躓くのが、これかもしれません。なぜ祈りは聞かれないのか。

それは、イエスが磔になって現在に至るまで死んだ状態、無意識の状態であるからと考えられます。黙示録には「わたしは、すぐに来る」と書かれており、また磔になった際、イエスは「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」とも言いました。しかしイエスが死んで2千年が経ちましたが、世の中は悪くなる一方です。そしてイエスが居なければ、我々は神と通信することができないのです。

では祈りは無駄なのでしょうか。そうではありません。それは自分の立場を鮮明にする意味があります。イエスの立場をとるのか、あるいはルシファーの側につくのかという選択です。その立場表明の記録となります。

また祈ることによってこの世を支配している神々が、その願いを叶えてくれるかもしれません。イエスの語った不義なる裁判官の例えのようにです。ルシファーといえども、神の是認を受けたうえで、この世を支配しているのです。

それではこの世の神々に直接祈ったらいいのではないかと言う人がいるかもしれません。そうしている人は大勢います。しかしそんな事をしたらサタンの側につくことになってしまいます。ここは重要です。

ルシファーというのは、言ってみれば意地悪な直属上司です。VPN回線があるわけではないので(笑)、祈りをすればその内容はルシファーにつつぬけです。上司を飛び越えて訴える訳ですから覚悟が必要です。祈りの内容は工夫することが必要です。しかし日依ってはいけません。ここが難しいところなのです。

彼はまた,いつも祈っていなければならず,あきらめてはならないことを,彼らにたとえで話して言った,「ある町に,を恐れず,人をも敬わない一人の裁判官がいた。その町には一人のやもめがおり,何度も彼のもとに来ては,『わたしを訴える者からわたしを弁護してください!』と言っていた。彼は,しばらくの間はそうしようとはしなかったが,後になって自分に言った,『わたしはを恐れず,人をも敬わないが,それでもこのやもめがわたしを煩わすので,彼女を弁護してやろう。そうしないと,彼女は絶え間なくやって来て,わたしを疲れ果てさせるだろう』」。(ルカ18:1-5)