日本人はどうでも良い小手先のテクニックに拘り、本質を見ようとしません。いつも誰かの手っ取り早いモノマネばかりで、自分の頭で新しい事を考えることが出来ないのです。
黒澤明の映画「羅生門」は日本では全く見向きもされませんでしたが、カンヌ映画祭でグランプリを取りました。今でも日本であまり見られている映画とは言えませんが、この「羅生門効果」("Rashomon effect")を使った海外映画、海外ドラマは今でも見かけます。ちなみに、この"Rashomon effect"も海外で生まれた言葉で、日本で知られるようになったのは、スティーブ・ジョブズの生涯を綴った本に記載されていたからでした。
この「羅生門」という映画は、新しい気づきを与えてくれます。つまり強盗殺人犯のような「悪人」のみならず、教養ある人々も、普通の善人も、みな悪意無しに無意識にウソをつく、客観的事実と言っても、それは人によって全く違うのだという新しい考えのスキームを提供したのです。だから映画を観終わって後でもいろいろ考え応用して楽しむことが出来るのです。
ところが日本人はそういう事に面白みを感じる事ができない。即物的に楽しいものでなければ、彼らは喜ぶことが出来ないのです。
学問でも同じです。学問のベースとなる基本的な考え、枠組みに日本人は興味を示さない。それよりも手っ取り早く何か作れるとか、直ぐに成果を出せるという、そういう事にしか興味を示さないのです。数学も基本的には哲学と同じです。問題を自分で見つけ出し、それに対してエレガントな解決法を見出す。物理学は物理世界の背後に隠れている美しい公式を見出す学問、数学は我々の頭にアプリオリに隠されている公式を見出す学問です。
ところが日本の高校で教える数学とは誰か他人の作った公式を沢山覚えて、素早く計算を行う事に主眼が置かれています。これでは時代遅れの人間計算機を大量に生産しているようなものです。だから大勢の人が大学の数学科でつまづくのです。
日本では今でも、簡単なコンピュータに置き換えられるような、役立たずの人間を大量に作り上げています。暗算が得意な人間等はサーカスの見世物のようなものでしょう。それよりも新しい公式を作った人間の方がはるかに人類に貢献していると言えます。