ゴジラ、モスラといった怪獣映画があります。これを見ると日本人の歪んだ深層心理を垣間見ることが出来ます。「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ」という映画で、最後に廃墟と化した東京を前に総理大臣がこう言い放ちます。「この戦いで何か得たものがあったとしたら、それは間違いを認める勇気を得たということだ」
爆笑ものです。これは原爆投下に対する歪んだ日本人の考えが投影されています。言葉にしてみましょう。それはすなわち、「原爆投下で我々日本人は大きな犠牲を払った。しかしそれによって人類は、核爆弾が間違いだったという尊い教訓を得た」ということです。
そもそも言うまでもなく、ゴジラ自体が原水爆の象徴です。日本人は原爆投下を何か自然災害か何かのように捉えたがっています。自ら戦争をした事によって招いた結果だというのにです。自然災害だからしょうがない、誰も恨む訳にはいかない、受け入れるしかないという訳です。
それだけならまだしも、日本人はまるで自分達が平和の使者であるかのように振る舞っています。「我々日本人は原爆の恐ろしさ、戦争の空しさを知っている、だから平和を訴える権利がある!」と言っているのです。
「モスラ」や先の映画でもそうなのですが、インファント島の双子の妖精は、「私たちを島に帰さないとモスラがやってきます、ゴジラの骨を返さないとモスラがやってきます!」と何度も執拗に脅しをかけています(笑) それでいて「モスラが来ないようにしてくれ」と交渉すると、「私たちにはどうすることもできません」と逃げます(笑)
この言葉の背後に隠されている深層心理を言葉にするとこうなります。「我々日本人は平和の尊さを知っている。我々の言葉に耳を傾けないとどうなっても知らないぞ!」
平和を望むのには反対しませんが、日本人のやり方は何とも傍若無人で偽善的です。しかも世界大戦を引き起こす一翼を担い、その事を決して謝ろうとしない日本人にそんな資格があるのかと世界の人達は考えています。少なくとも「この偽善者め!」と陰で舌打ちしていることでしょう(笑)