日本で何か災害が起こった場合、目につくのは「がんばろう○○」とか、「引き続き○○に気をつけてください」という虚しい掛け声です。メシも無いクソも出来ない状況でいつまで頑張らねばならないのか、一体いつまで緊張に耐えなければならないのか、そんな事は誰も気にかけてくれません。落伍したら、あいつは我慢が足りなかったとあざ笑われるだけです。
日本人の精神主義は昔からです。「一億玉砕」だの「竹やり訓練」など、工業技術や物資の不足を兵士や庶民の精神でおぎなおうとしていたのです。ナポレオンの「最後は精神が必ず剣に打ち勝つ」を極限まで曲解したのが日本陸軍です。弾薬が尽きたら竹槍で戦う、そして今では最新鋭ステルス戦闘機が墜落したら、石つぶてでも投げて中国と戦うのでしょうか。
戦時中の「欲しがりません、勝つまでは」も、戦後の「過ちは繰返しませぬから」も、どちらも精神主義です。意味の無い掛け声に過ぎません。一体この言葉の主語は誰ですか? こんな事をしたからといって何が変わるのですか。はなはだ非論理的です。日本人の体質は何も変わっていないのです。
要するにこれらは為政者が何もしない代わりに、全ての仕事と責任を末端の虫けら庶民に転化しているに過ぎません。会社でもあるでしょう。何か不祥事があったり、セキュリティ事故があったりすると、その管理責任は全て末端の社員に被せられるのです。
このように日本人の精神至上主義というのは、為政者の都合の良い支配の道具に過ぎず、うるわしき日本特有の文化でも日本人の特性でも何でもないのです。