人間の命は実に軽いものです。誰かが「人の命は地球よりも重い」などと馬鹿げた事をのたまいましたが、こんな事をまさか信じている人は居ないでしょう。戦時中兵隊は、「一銭五厘の命」と呼ばれ消耗品として捨て駒や、特攻兵器として扱われました。
この世の支配者サタンから見ても、人は虫けらに過ぎません。「主は地球のはるか上に座して、地に住む者をいなごのように見られる。主は天を幕のようにひろげ、これを住むべき天幕のように張り、」(イザヤ4:22) 支配者たちも同様です。
こういう事を認識していないから、介護疲れで殺人とか、末期がん患者の高額治療で家族が苦しむとか、数億円かけて子供に移植手術を受けさせるとか、果てはペットの猫に腎臓透析を受けさせるとかいう、馬鹿げた喜劇が起こるのです。
死にゆく者は放っておいて自然死させればよいのです。親であろうと、連れであろうと、子供であろうと同じです。生命力があれば這ってでも食事をするだろうし、その気力が無ければ自然に死ぬのです。中途半端に関わろうとするから虐待や殺人、金欠が起こるのです。食えもしない病人を無理矢理生きながらえさせるのは、西洋では虐待です。そもそも貧乏人ごときが、介護や高額治療を受けて生き延びようとするのが烏滸がましいのです。死んでも魂は永遠ですから、新しい天と地か地獄で再開できるでしょう。
人々はみな、娘のために泣き悲しんでいた。イエスは言われた、「泣くな、娘は死んだのではない。眠っているだけである」。 人々は娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑った。(ルカ8:52-53)
介護や高額治療で苦しんでいるのは、好きでやっている自慰行為ならともかく、彼らの偽善的思考様式から来る、自業自得の当然の結果なのです。