機会均等教育の弊害と、思考力を養う教育

戦後の日本の教育というものは、長らく機会均等教育が主流でした。裕福で無い家庭の子も、無償である程度まで、等しく一定の水準の教育が受けられる。これは日本全国で、均質な労働者を育てるという目的ではありましたが、それなりに国民にもメリットのあるものではありました。貧しい家庭の子でも、立身出世は夢ではありませんでした

とはいえ、均等教育にはもちろん弊害があります。日本では教育以外でも、常に周りに考えを合わせる様に強制されます。同じ教育を受け、同じメディアの情報にされされて、所属する集団の圧力で、同じ思考ばかりする人間が増えることになります。同じ考えしかしない人間の集まりでは、何か有事があった際に適切な判断を下せず、全員共倒れという事になってしまいます。優れた判断力を持った人間が育たないのです。

では昨今の考える教育というのは有効なのでしょうか。思考力を養うには、まずは知識が必要です。思考を川の流れに例えると、知識は水です。水があるから川が出来るのであって、その逆ではありません。何のことはない、これからは今以上に教育へ、時間とカネを充てる必要があるのです。

真の思考力や教養(cultivation)というのは、皮肉な事ですが余裕から生まれます。もともと才能があり、自由に知識を得て、自分で時間を決めて思索を巡らせる安定した環境に居る事が必要です。部活や塾、詰め込み教育と下らぬ友達とのコミュニケーションで、寝る時間もなく、やっとのことで目的の学校に入る事が出来た、こんな人間では、会社の兵隊としては良くても、指導者には成り得ません。

これからは今以上に、貧富の差に応じた教育格差が広がるでしょう。裕福な家庭の子弟が必ずしも頭が良い訳ではありませんが、今は旧帝国大学にも推薦・AO入試枠が設けられている時代です。一生懸命に勉強すれば道が開けるというのは幻想に過ぎません。