kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。内容は逆説的、独断的な極論ですが、日本人覚醒への強い祈りを込めたエールです。

運転免許証にある臓器提供意思表示欄について

運転免許証の裏に、臓器提供意思表示欄というものがあります。何も書いていない人もいると思いますが、自分は「提供しません」に、丸を付けてます。

なぜかというと、脳死段階で臓器を取り出すことに疑問を持っているからです。

意思表示欄に何も書いていないと、臓器移植法の改正により、医師の説得で家族が同意すれば、臓器を取り出すことが可能になりました。だから自分の場合、臓器を取り出されるのを防ぐために、拒否の意思表示をしています。なぜなのかを説明します。

免許証の裏に書いてありますから、ご存知でしょうが、臓器を提供する場合、1)脳死もしくは心臓の停止で提供する、もしくは、2)心臓の停止で提供するの、2つのどちらかが選べます。

まず脳死についてですが、日本の法律では、臓器移植を前提としたものに限って、脳死を認めています。おかしな話です。脳死状態で火葬場送りにしてはいけないのですが、臓器移植のためなら、ひょっとしたら生きてるのかもしれないけど、臓器を取り出すのを許しちゃえってことです。

もし脳死が、死と同等と証明できているなら、とっとと無駄な延命治療は止めたらいいじゃないですか。しかし、延命治療によって、病院は潤うし、家族には年金が入る事もありますから、それも出来ないでしょう。

そもそも死亡の定義さえ、この国の法律では存在しません。つまり、役人や、裁判官が、「こいつは死んでいる」と言えば、死んでいるわけです。

脳死状態で、メスを入れられると、心拍数や血圧が上がり、体が動くこともあるようです。これをただの反射と捉えるのも自由でしょうが、本当はどうなんでしょうかねえ。もし仮に意識が残されていたら、生きたまま、麻酔もなしに、メスで体を切り刻まれるわけだから、残酷この上ないですね。でも叫ぶこともできない。伝える手段がない状態なのかもしれません。

次に「心臓の停止」ですが、これも幅を持たせた表現です。あえて、心肺脳停止を意味する「心臓死」と言っていない点に注目です。通常の死亡確認にある、心臓と肺機能の停止、瞳孔反射の消失ではないわけです。心停止直後ならAEDなどによって蘇生する可能性があります。もっと言えば、火葬、埋葬は、死亡後24時間経ってから行われるのが普通です。蘇生した人間を誤って、葬らないためです。

TVでは脳死と判断された子供の臓器移植提供を美談として伝えます。空から光芒が降り注ぐ海の写真を背景に、ポエムが流れます。何ともこの国らしい偽善的な演出です。こんなもので簡単に騙されてしまう貧乏人は、臓器を待ち望んでいる大勢の富裕層、そして医療の進歩、また移植に伴う利権のために、生きたまま喜んで臓器を提供するのが、この国における務めということなのです。