日本人というのが帰属集団の様々なルールに従っているだけで、確固としたポリシーや道徳律を持っていないというのは、既に書きました。それなのに日本人は「ルールを守れ」などと善人面をして言います。まるで世界中で日本人こそが、善の善なるものだと思っているような傲慢な態度です。少なくとも「規則に良く従い、マナーが良い」と自認しているようです。
そこで、ここでは日本人の良心の拠り所について書いてみたいと思います。
日本人というのは世論誘導によって、その考えを思いのままに操ることが出来ます。「同性パートナーを役所が認めました」、「国勢調査の性別欄が男と女しか無いのは差別ではないか」というニュース報道やネットの書き込みをすれば、大多数の日本人は「ああ、ニューハーフや同性婚も認めなきゃ」と思うようになります。「中国や韓国やISは悪い奴だ、戦争もやむなし」というムードを作れば、簡単に戦争に行ってくれます。素晴らしく理想的な近代国家市民です。
さらに日本人というのは基本的に性善説であり、子供は善だと思っています。子供が無邪気に喜ぶものは良い、という事です。反対に子供に笑われるというのは最大の屈辱です。「オトナなのにマナーも守れないの?」という高校生が描いたポスターが話題になったりします。「自分の子供に見られて恥ずかしくなような行動をとる」と公言している人もいます。津波から避難しようとしている時に子供から「こういう時だからこそ政府の指示に従おうよ」と言われて、思いとどまったりします。
では子供の行動の基準とは何か? 子供は基本的に純真です。言われた事を疑いもせず守ります。日本の子供が何を吹き込まれているかと言うと、何のことは無い、学校での愚にも付かない指導と、同じく親による、何のポリシーもなく「ああいう事をしたら笑われますよ」と言われた言葉を守っているだけなのです。日頃、自分が善人面して吹き込んだ言葉に、そのまま縛られているだけなのです。何と愚かなことでしょうか。
大人でさえモラルを守れないのだから、子供には厳しく道徳を教え込むというのが世界の常識です。ところが日本では子供を甘やかします。成長するに連れて「皆に笑われないよう、迷惑をかけないよう」と自重しますが、道徳を教え込まれていないので、タガが外れる場面では、好き放題に振る舞います。これが日本人が信用されず嫌われている理由のひとつです。
このように日本人がすがっている良心というのは、実に頼りないものであって、これを操る事によって日本人を如何様にも洗脳できるのです。