「ルールを守れ」と言う日本人の偽善性

日本人の偽善者ぶりを指摘してみます。偽善者というのはイエスがもっとも苛烈に非難したタイプの人間です。

偽善者はとにかくルールを守りたがります。日本人は「ルールを守ろう」とか、「マナーを守ろう」とかよく言います。本来の意味は忘れて、杓子定規に守りたがります。自分は守れない癖に、他人にそれを強要します。その矛盾を指摘すると怒り出します。イエスは「ルールを守れ」とは言っていません。反対です。杓子定規に律法を守ろうとする者を、「偽善者」、「まむしの子ら(=サタンの子)」「地獄の罰を免れない」と最大限の非難をしています。

ものの見えない案内人、あなたたちはぶよ一匹さえも漉して除くが、らくだは飲み込んでいる。(マタイ23:24)

蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか。(マタイ23:33)


イエスも、支配層は口で言うだけで律法を守っていないが、あなた方は守りなさい、とは言っています。律法というのはサタンが支配するこの世が過ぎ去るまでのものではありますが、これが無くなると秩序が保たれず、また警察や検察のようなサタンの手下どもに罰せられたり、トラブルになります。

だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである。
彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない。(マタイ23:3-4)


ある時イエスが障害者を治そうとした際に、ユダヤの支配層が、安息日に働いていると見当違いの部分でイエスを糾弾した事がありました。それを指摘すると殺してやろうと考えるまで激しくイエスを憎みました。

そして人々にこう言われた。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」彼らは黙っていた。そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。(マタイ3:4-6)

この世界は多くの複雑な法律で人々を縛り苦しめています。しかしイエスをは違います。罪を犯した人でも、また犯し続けても、ただイエスの存在を信じ、語られた言葉に耳を傾けるだけでいいのです。間違いを犯したら「許してください」と言うだけです。「もうしません」などと言う必要さえありません。不完全な人間のために「誓うな」と言ってくれているからです。

「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。(マタイ5:33-34)

わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11:13)

おかしな法律や数々の悪法、それもこの世が過ぎ去り新しい天と地が来るまでのことです。

はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。(マタイ5:18)

また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。 (黙示録21:1)