日本人は何故、好奇心旺盛で、表面的な知識の吸収に長け、それでいて根本的な理論の理解をしない傾向があるのか? そういった傾向を獲得するに至った理由、経緯を考えてみたいと思います。
日本人というのは、自分の帰属する様々な集団のルールに従う事が求められます。このルールは必ずしも成文化されておらず、集団毎に相矛盾する事がしばしばです。ですので理由は後回しで、「この集団における、こういった場面では、こういう風に行動する」というルールを、言わば丸暗記する事が求められるのです。
こういった「空気を読む」ことに長けていて、それらの調整を上手くできる人間が、日本では重宝されます。さらに矛盾するこれらのルールについて説明を求められれば、弁説巧みに、上手く相手を丸め込む事が出来る人間が「優秀」と呼ばれます。ですから詐欺師的人間が上から下まで日本に蔓延しているのは、ちゃんと理由があるのです。彼らの言葉は、合理的思考を身に着けた者にはおよそナンセンスな代物です。
また、好奇心が欠けているというのは、集団の「空気」や「流行り」を素早く読めないという事につながり、日本社会での生活においては致命的な欠点となります。常に他人の動向を気にかけ、皆と同じ行動をとる事が求められているのです。そしてそれらの流行に一貫した理由は無く、雑多な矛盾する文化・風習が日本に流れ込む事になります。
日本の教育で丸暗記が重視されていたのは、明治維新や戦後に西洋に追いつくという名目でそうなったのでは無く、もともとの日本人の性向に合っていたからなのです。そして日本人のほとんどに明確なポリシーや道徳律が全く無いのは、彼ら自身にも自分達の行動を統一的に説明する事が出来ないからです。それなのに説明を求められると、集団内で合意された、意味の通らない表面的なウソをつく訳です。
性質が悪い事に、以上の事を日本人は自覚していません。自分達は平和を愛する善人で、世界の人々から好かれていると思っているのです。だから西洋人やアジア人が、日本人は根本的な所で、行動に一貫性が無く嘘つきで信用ならない偽善者だと言っているのは、全く的を得た評価なのです。