kurukuru89’s blog

一人の原始キリスト教信者が、気の向くまま森羅万象について語ります

人間に自由意志はあるのか?

人間に自由意志というものは、あるのでしょうか。生理学者、ベンジャミン・リベットの実験は重要な真実を提示しています。簡単に言いますと、人間の行動は自身が意識する0.5秒前に無意識のうちに始まってしまっており、人間の自己はそれを追認しているに過ぎないのです。

ですので、自分の行動を左右するといった面での自由意志は残念ながら無いという事になります。

「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。(マタイ5:33-34)

人間に出来るのは、自分が起こした結果に対して、それを「是」とするか「否」とするかだけです。それによって自分の次回の行動の蓋然性を多少とも左右できるという事に過ぎません。

あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」(マタイ5:37)

ま た人間の自由意志が及ぶ範囲、「自己」について考えると、体や心、感情や無意識、思考ですら自分の思いのままにならない事に気がつきます。自己というの は、例えてみれば、実際よりも何秒か遅れる、地上デジタル放送を、TVで見ているような存在です。放送局の副調整室に居るディレクターが、無意識の検閲 官、TVの画面が意識、それ見ている人が自己といった具合です。

人間は自分の体格、容姿、知能、感情、人格、無意識の閃き等を自分そのも のであるかのように考えていますが、天界から見れば、それらは「世の神」から与えられた一時的な衣装、アバターの特性に過ぎません。我々は醜い容姿の人、 下劣な人格の人、罪や間違いばかり起こす人を悪い人間と捉えがちですが、そんなものは自己では無いのです。人間の心などは誰しも醜いものです。

しかし、口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す。悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである。(マタイ15:18-19)

さ らには、「世の神」ルシファーや悪霊と呼ばれる霊的存在が居ます。彼らは実際に人間を作った存在ですから、我々の事を良く知っています。対して人間は彼ら のことをほとんど知りませんし自分の事も分かっていません。孫子の言うように常識的に考えて「戦う毎に必ず危うし」という状態です。まさにいいように操ら れてると言っていいでしょう。

このように人間は自分の行動を左右する、ましてや誓って行動を約束する事等は、出来ない存在である事が分かります。我々に出来るのはそれを「是」とするか「否」とするかしかないのです。そしてイエスもそれを良く分かっておられるのです。

もしアブラハムが、その行いによって義とされたのであれば、彼は誇ることができよう。しかし、神のみまえでは、できない。(ローマ人への手紙4:2)
アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。(創世記15:6)
わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。(ヨハネ 12:47)



意識の介入による運転操作における0.5秒の遅れ(ベンジャミン・リベットの準備電位)
http://minkara.carview.co.jp/userid/1335383/blog/27786880/