kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

ただ一人で、人類へのメッセージを携えてきたイエス

以下はノアの洪水後、天界で行われたある会話の物語。

御使い:「今回の地球を襲わせた大洪水だが、あまりにも酷過ぎるのではないか。この地球を中心とする物理世界の運営は、ルシファー、そなたと配下の御使いに任せられており、人間が罪深くなったのは、そなたらの責任が多いのではないか。」

蛇(ルシファー):「わたしは人を殺した者には、人命で贖うように、最初から人間と契約を結んでいる。その契約通りに実行しただけだ。」

御使い:「それだけではない、今の地球を見よ! 地球を覆う大海、危険な山々や断崖絶壁、激しい気温差と、気象変動、まるで地獄ではないか。お前は何をしたいのだ?」

蛇: 「試練は人を強くする。私は人間の心の奥底まで知っている。以前は彼らを甘やかしたから、罪を犯し続けた。今から人間は、その報いとしてこの地獄のような 世界で耐えながら生きていくことになる。その代わり彼らの地上での寿命を120年とした。彼らが長く苦しむ事は無い。彼らは悔い改め、今度こそ正しく生き るようになるだろう。」

御使い:「わたしはお前の言うことが信用できない。洪水前にお前の仲間である御使い達は、人間の体をまとって快楽にふけり、神々と称して人間を使った戦いに明け暮れていた。それを忘れて全て人間のせいにするのか。」

蛇: 「よかろう。これからは我々の存在を隠すようにする。それならば文句は無いだろう。地球の運営を人類に任せてみようではないか。さらにひとつ提案がある。 人が再び増え文明が発達したら、あの最初に造られた神の子であるイエスを、人間として地球に送り込むのだ。そこで我々にとって代わって人類を指導してみる が良い。イエスならば、快楽にふけることもなく、さぞかし立派な指導を行うことであろう。」

御使い:「とんでもない、あのような処にイエスを送り込むことは出来ない。」

蛇: 「あなたも人間の罪深さ、野蛮さを認めているではないか。それでは私からまたひとつ提案がある。『選民』というものを作ろう。彼らには私達の存在を知らせ て、モラルを保つべく『律法』を与え守らせるのだ。イエスはその『選民』から人間として生まれ、『選民』にのみ伝道し、『選民』を指導するのだ。さあ、わ たしは大いに譲歩した。イエスが誘惑に負けず、その『選民』の指導さえ出来るようになれば、その時は、この地球の運営をあなた方に譲り渡しても良い。」

御使い:「これを機に、イエスに危害を及ぼそうというのではないか。」

蛇:「我々から直接危害を及ぼす事はない。さらに私が目をかけた選民も正しく平穏な民族として育てる。ただしこれからは人間の自治に任せるようにするのだから、彼らの自由意志を尊重する。」

御使い:「それならば神に、今回の件を伝えよう。議会にもはかろう。」

蛇:「最後にもうひとつ提案がある。『選民』がイエスを受け入れれば良いが、もし万が一、受け入れなかった場合、イエスには生贄となってもらう。」

御使い:「なんということを。」

蛇:「これは私の人間への慈悲から言っていることだ。もし『選民』がイエスを受け入れなくても、人類を救う手立てを与えるのだ。それには人命には人命を、という原理を当てはめるしかない。
さあ、私は何れにせよ、あなた方に地球の運営を委ねようとしているのだ。あなたが関心を持っている人類も生き残れる。それにはただ単にイエスが地球上に人間として生まれれば良いと言っているのだ。簡単な事ではないか。
もしこれを受け入れられないとして逃げるのであれば、天界で少数派である、あなた方の居場所はここから無くなるのだ。」

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イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。(ヨハネ 10:7-8)
わ たしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。わたしを拒 み、わたしの言葉を受け入れない者に対しては、裁くものがある。わたしの語った言葉が、終わりの日にその者を裁く。(ヨハネ 12:47-48)

そ こで、祭司長たちとファリサイ派の人々は最高法院を召集して言った。「この男は多くのしるしを行っているが、どうすればよいか。このままにしておけば、皆 が彼を信じるようになる。そして、ローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう。」(ヨハネ 11:47-48)
とはいえ、議員の中にもイエスを信じる者は多かった。ただ、会堂から追放されるのを恐れ、ファリサイ派の人々をはばかって公に言い表さなかった。彼らは、神からの誉れよりも、人間からの誉れの方を好んだのである。(ヨハネ 12:42-43)