意識の介入による運転操作における0.5秒の遅れ(ベンジャミン・リベットの準備電位)

クルマの中で信号が青になるのを待っているとします。いつもは信号が青になったら、即座にアクセルを踏むのですが、その時に限って、安全のために0.1秒 待ってから、アクセルを踏もうと決定したとします。さて、青になり、0.1秒の間を置いてから、アクセルを踏みました。ところが時を同じくして、せっかち な後ろのドライバーからクラクションを鳴らされます。なんと、信号が青になってから、0.6秒が経過していたのです。

我々が見聞きし、 感じている世界は、実は0.5秒ほど、昔の世界なんです。「待ってくれ、それじゃ物理世界とのやり取りの同期がとれないではないか」と思いますよね。実は 慣れ親しんでいる、クルマの運転や、スポーツ、楽器演奏、さらには会話でさえ、無意識が即座に(数十ミリ秒で)反応してやってくれており、我々の意識は、 それを0.5秒後に追認しているだけなんです。しかし、どういう仕組みか、記憶が書き換えられ、あたかも0.5秒前からリアルタイムで体験し自己が対応し ていたかのように感じるのです。

そして上の例え話のように、刺激への反応で、意思の介入があると、滑らかな動作を阻害し、自分では気づ かなくても、0.5秒ほど遅くなることがあるんです。なので、初めてのサーキットでのレースや、危険回避の操作などは、頭で分かっているだけでは駄目で、 やはり実際に練習して、体に覚え込ませる必要があるわけです。( 当たり前と言えば当たり前ですね(笑) )

なぜ、意識が0.5秒も遅れるのかは、未だはっきりと分かっていません。無意識で処理している膨大な情報を取捨選択し、意識に送る情報へと変換するのに時間がかかっているとも、経験した事実を自分の都合の良いように改ざんするための時間であると言う人もいます。

例えてみれば、実際よりも何秒か遅れる、地上デジタル放送を、TVで見ているようなものです。放送局の副調整室に居るディレクターが、無意識の検閲官、TVの画面が意識、それ見ている人(TV局の社長)が自己といった具合です。

い ろいろなカメラ映像や音声が副調整室に集まりますが、どのタイミングで、どれを選ぶかは、ディレクター(無意識)に委ねられています。NG映像が上がって きたら、別の映像に差し替える事もできます。この手強い無意識を手なずけて、自己はできるだけ、意識の傍観者に徹するのが、名人の境地なのかもしれませ ん。 「考えるな、感じろ」とは至言です(笑)。