kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

この物理世界もデジタル、格子状の空間である可能性

「ゼノンのパラドックス」というものがあります。古代ギリシャの哲学者であるパルメニデスによって提唱され、ゼノンがそれを受け継いだものです。その一つ を簡単に説明すると、地点Aから地点Bへ移動するには、途中で無限の地点が存在し、その無限の地点を通過するには、無限の時間が必要であり、したがって運 動は不可能であるというものです。

実はパルメニデスの言っている事は全くその通りです。では何故、運動が可能かというと、地点Aから地点Bの間に存在する地点は有限だからです。つまりこの物理世界もコンピュータと同じくデジタルの世界、格子状の世界なのです。

パルメニデスの言っている事を理解できた人間は、その当時、ほとんど居なかったようですが、現代の我々なら容易に理解できます。

た とえばパソコンゲームのプログラムを考えて見ます。画面上のキャラクターを左から右へ素早く動かす場合、Xの値が0から50まで1つづつ進めという命令を 出します。しかし昔のパソコンでは性能が高くない為、0から50まで5つづつ進めというという命令を出して、速く動かそうとします。つまり0から50の座 標では無く、あたかも0から10までの座標であるように動かせば、速くキャラクターが動くわけです。

しかし逆にこの座標が、100、1万、100万、1兆とどんどん増えていったらどうなるでしょう。動きはどんどん遅くなり、ついには、ほとんど動けなくなってしまいます。

以上のように、仮想世界の空間が、すべて、x、y、zの3つの座標による有限の地点で構成されているように、この世も有限の最小単位で、空間が構成されているのです。だから物理世界の空間の中でも、物体の移動が可能なわけです。

時間において、最小の時間であるプランク時間があるように、空間においても最小の空間の単位があるはずです。これは面白いテーマです。これが証明できれば、この物理世界は誰かが構築したシミュレーションの世界だという可能性が、さらに高まることになるでしょう。