kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

集団で意味のない避難訓練をする日本人の愚かさ

日本人は意味の無い避難訓練や防災訓練が大好きです。日本の避難訓練というのは、まったく現実的ではなく、どこか儀式めいた、軍隊的な雰囲気があるのが特徴です。

 

日本のどこに居ても必ず遭遇する、あのサイレン音とナレーションを聞くたびにゲンナリする人も居るのではないでしょうか。あるいは何も考えたことのない人の方が多いのかもしれません。

 

統一と自己犠牲が必要な所では、日常生活が宗教化、軍事化されると述べたのは、エリック・ホッファーですが、日本の避難訓練というのは、自己を無にして共同体の統一性を確認するための儀式的行為であり、同時にそれを成員に叩き込むための軍事教練と言えるかもしれません。ですから実際に、訓練が効果的であるかどうか、現実に即しているかなどは省みられることはないのです。

 

上の指示があるまで、何があろうとじっとして動かない、指示があって初めて、強度の不足した無意味なヘルメットを皆で被り、調和を乱さず集団で規律正しくゆっくりと行動する、そして広場に並ばされ、儀式めいたスピーチで終了する、といった具合です。奴隷達が上の意向をくみ取って、真面目にこのような馬鹿げた行為を成し遂げる姿には驚嘆するものがあります。さすがカミカゼ・アタックやバンザイ・アタックを行った国民です。

 

避難訓練と言っても、何の事はない、これは何ひとつ自分では考えるな、黙って上のいう事をきけ、という訓練なのです。さらに上の連中も自分で決断できない愚か者なので、いざ災害に遭遇した際には悲劇的な結果になります。3.11の時は、津波が迫っているなか、子供達は学校の広場に長い間立たせられた後、波に飲み込まれて死んでしまったのです。

 

そんな教訓を人々は深く考えることもなく、今日も日本の至る所で、サイレンが鳴り響く中、頭を抱えてうずくまる訓練が繰り返されているのです。何も文句を言わない、何も考えない、ただ毎日を言われるがままに生きていく、そんな奴隷であることに安心しきった彼らの末路は悲惨なものになるでしょう。

奴隷に対する麻酔剤として作用する、ゆるキャラたち

日本には幼稚な「ゆるキャラ」や、「カワイイ」キャラクターが満ち溢れています。熱心なアニメヲタクはそれほど多くはないものの、巷で見かけるマスコットや、「魔法少女~」(笑)などは割と多くの人々に受け入れられているように思います。

 

日本人がユーモラスで明るい国民だから、こういったものが蔓延しているのではありません。これらは、日本人が幼稚なものを好むことに加え、こういったマスコットが、深刻なこと、真面目なことを包み隠す役割を担っていることから来ます。

 

日本人は子供によくウソをつきます。ルーズ・ベネディクトも指摘していますが、昔、日本では親が子供を甘やかす一方で、言うことを聞かないと「おまえはウチの子ではありません」と脅す習慣がありました。子供を感情的に翻弄して支配下に置くのです。

 

また日本人は、表面的に相手を傷つけないという理由の為に平気でウソをつきます。日本人はウソをつき、ウソをつかれることに子供のころから慣らされています。奴隷達は普通の感覚ではとても暮らしていけないようなディストピアに暮らしているからこそ、自分にも周りにもウソをつき続けなければいけないのです。

 

それゆえ、心地よい世界であるかのような幻想を子供に与える馬鹿げたストーリーや想像上のキャラクターを彼らは歓迎します。現実を誤魔化してくれるような幼稚なたわごとを自ら信用しょうとします。大人向けにTVでは御用学者や、医者、弁護士、大学生、政治家がたわいもないバラエティ番組に出演し、噛んで含めるような司会の解説とともに「日本は素晴らしい国である、権威ある私たちを信用するように」というメッセージを送っています。

 

こうして真面目に取り組まなければいけない事柄や、厳しい現実が「ゆるキャラ」や幼稚な寸劇で誤魔化され緩和されます。それは強制されているというより、奴隷たちが自ら求めていることでもあるのです。

物理的強制力が最終的に人を支配する

2018年に全米で公開される「サムソン」という映画があります。サムソンは、旧約聖書に書かれている神に選ばれた存在で、その怪力をもって数千人の敵を打ち殺し、死ぬ際にも大勢の敵を道連れにした古代イスラエルの英雄です。

 

宗教というのは暴力と深く結びついています。キリスト教がこれだけ全世界に広まったのも、武力による裏付けがあったからです。剣を使う者は剣によって滅びてしまう可能性はありますが、敵が丸腰であればこちらが勝利します。人は暴力の前にひれ伏すか、その力を失います。言葉と剣の両方があって人は言う事を聞くのです。

 

ただし信仰や狂信的な信念に基づいた暴力は苛烈を極めます。大抵の人は個人的に暴力を振るうことには躊躇するものです。しかし信仰や信念があれば、冷静に際限なく武力を用いて、罪の意識にさいなまれることもないのです。

 

「この世」では愛も必要ですが、武力も時に応じて必要なのです。光や善、愛が良いものであると言うのは簡単ですが、人間はそれだけでは生きていけません。現実的に多くの人は善と悪の間で中庸を探っていくしかないのです。どこかの国に核ミサイルを打ち込んで良いと言っているのではありません。理想と現実の狭間でちょうど良い位置を選択するバランス感覚が必要なのです。

 

日本でもこれから綺麗事では済まされない過酷な世界がやって来るかもしれません。投資家、ジム・ロジャーズはインタビューで、日本は人口減少と巨額の債務を抱えており、自分が10歳の日本人だったら自動小銃を手に入れ国を去るだろうと述べています("Japan has staggering debt. They have a declining population and debt that’s going through the roof. If I were a 10-year-old Japanese, I’d get myself an AK-47, and I’d leave.”)。

 

一投資家の意見で、インパクトを狙った言葉であることを差し引いても、あながち的外れなことを言っているとも思えません。日本はこのまま経済的、政治的混乱を経て治安悪化への道をたどり、子供達が自分の知恵と力で生き抜かなければならない世界が到来するのかもしれません。

www.youtube.com2018年公開映画「サムソン」予告編

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Jim Rogers: Governments Hate Cash, Seek to Control People With Cryptocurrencies

https://www.newsmax.com/Finance/StreetTalk/jim-rogers-governments-cash-cryptocurrencies/2017/11/10/id/825355/

(2017年12月14日)

成果が不確実で目的が曖昧な巨大プロジェクトが、国をひとつにまとめる

内閣府のプロジェクトでNTTが開発した「光計算機」、「量子ニューラルネットワーク」が、「世界初の常温量子コンピュータ」とプレスリリースされましたが、その命名に異論が出ていると報道されています。厚木通研のサイトでも担当研究員が、量子コンピュータの計算原理とは異なると書いているわけで、量子コンピュータと発表したのは意図的な誘導と言えます(しかもそれは国内向けだけで海外では量子コンピュータと発表はしていません。それなのに「日本は新しいものが受け入れられにくい(からこんな異論がでる)」という公式見解が微笑ましいです)。

 

さて、本当に実現できるかどうかも分からない巨大なプロジェクトというのは国にとって便利なものです。「万里の長城」しかり、「廃炉」しかり、「超伝導リニア」しかり、「量子コンピュータ」しかりです。巨額の資金をつぎ込む理由ができて関係者はうるおいます。多くの人々に目標を与えて働かせることができますし、報道を見る人々も国との一体感を持つことができます。

 

明治維新後の日本では天皇の下で一体となって「富国強兵」のスローガンを実現するために人々が働かされ、日本を短期間で近代化するのに成功しましたが、「八紘一宇」は失敗しました。

 

戦後、日本は「加工貿易の国」であると国民は刷り込まれ、日本は安物の大量生産品の輸出に邁進し、さらに密集したウサギ小屋に住み満員電車での通勤や軍隊のような生活を繰り返しながらも「一億総中流」、「日本は特別だ」と教え込まれて満足していました。世界第2位の経済大国と自称するまでになりましたが、あえなく叩き潰されました。

 

抑圧的な政権の下にある奴隷というのは「共同生活」と見せかけの「平等」によって、国が与える厳しい訓練と強制に耐えることができます。苦しいが皆等しく頑張っていると、周りの姿を見て不満を抑えるのです。これによって国民の統一と自己犠牲的な精神が持続するのです。

 

科学は途方もない夢を与えて、それが科学者によってもう少しで実現できるという幻想を与えられる点においては、宗教と良く似ており、狂信的な全体主義国家に必要な宗教的、神秘的、オカルト的要素のひとつとなります。戦後の神道を欠いた日本において科学というのは、国家プロジェクトのスローガンのネタ元として都合が良かったのです。権力と秩序と服従の維持を目的とする実務家によって高度に中央集権化された全体主義国家において創造性は枯渇するので、亜流しか生み出せませんが、国体維持の手段に過ぎないのでそれで良いのです。

 

ただ現在では二極化によって、国民が信じてきた「平等」という神話が崩れてきました。情報の拡散もあいまって国民の間に不満が渦巻き、スローガンの胡散臭さや、それにまつわる権力者の不正に敏感になっているのです。

そのために国と人々は、より強力な国家的目標、外敵を今まで以上に必要としています。権威に従順で自由の精神が根付いていない人々は、より独裁的な指導者、極右的思想、全体主義によって再び統一されることを願うものなのです。

スパコン詐欺容疑事件に見る信者獲得の方法

日本人は科学に騙されやすい人達です。アインシュタインを神のようにあがめたり、カミオカンデを神殿のように見たり、国産ロケットごときで大騒ぎしたり、CERN加速器を必要以上に畏れたり、科学をまるで宗教のように捉えている人が多いように思われます。

 

だからなのでしょうか、単に特許利権の争いに過ぎなかったSTAP細胞を巡る騒動で陰謀と騒ぎ出したり、スパコン詐欺疑惑でも愛国的技術者が潰されてしまうと騒ぐ人達が現れています。

 

確かに科学の世界にも宗教的な要素を見つけることができます。助成金を獲得したやり方が本当に詐欺と言えるのか、出来がったスパコンがいかほどのものか、彼の持つビジョンが妥当なものか、政治との絡みはどうなのか、ということは別にして考えてみたいと思います。

 

コネや学歴の足りない者が、多くの人々を心酔させてカネを集めるには、単にプレゼンテーションが巧みだとか、口達者で詐欺師的な素養があったりするだけでは不十分で、カリスマ性を身にまとった宗教的な要素が必要です。

 

ここで宗教的要素といっているのは、現実とはかけ離れた夢のような未来を語り、それがあたかも、あと一歩で手に入るという幻想を人々に与える技術を持っていることです。裏付けとして、分かりやすい教義の存在も必要です。

 

「シンギュラリティ」というレイ・カーツワイルから借りた教義を使って「フリーエネルギー」、「不老不死」、「人工光合成」、「瑞穂の国を世界中に伝播」など夢のような話を熱意をもって語り、それが数十年もしないうちに訪れる、そしてそれはひたすら高速のスパコン開発によって到達できるという単純さと分かりやすさ、こういった「教え」を本にして出版したり、メディアに取り上げてもらうことで大衆の耳目を集め、熱心な信者を獲得できるのです。

 

そしてさらに脅威を及ぼす「敵」の存在が必要です。早くしないと中国に追い抜かれる、「2番では絶対ダメ」という脅威論が信者たちの熱意をいっそう高めるのです。科学者である前にカリスマであることが、ここまでのし上がった理由のひとつかもしれません。

 

しかし内閣府の審議会で上のようなことを力説してしまったのは拙かったと思います。役人は「こいつは○○なのかも」と思ったかもしれません。一般大衆向けの対談会ではないのですから、役人のシナリオ通りに無難な事を言っておくべきでした。悪事を共有できる仲間と思われるか、さもなければ、役人の手のひらの上で大人しく踊っているべきだったのです。

この国は天才など一切必要としていません。役人から見たら馬鹿と同じです。ごく少数の「優秀な」詐欺師と愚鈍な大衆がいれば良いのです。