kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

日本人は自主的に協力し合って何かを成し遂げることができない

日本人は誰かから指示されて動くことに慣れきっているため、自ら考え、他の人も巻き込んで何かを成し遂げるということが出来ない人達です。真似事ではない草の根民主主義など、数千年かかっても、この国では発生することはなかったでしょう。

 

BBCニュースで紹介されていますが、テキサス州で大リーグの優勝パレードをビルから見ていた女性が帽子を落としたのを見て、下の各階の人達が協力しあって、帽子を持ち主の元に返したそうです。そこには、自発的な暖かい気持ちで協力し合い、楽しみながら何かを行うという、日本人には欠けている何かがあります。

 

「タテ社会」の日本人は常に上の方ばかり見ています。大人しく待っていれば、誰かが何かを指示してくれる、教えてくれる、与えてくれると思っているのです。そしてその上下関係の中で自分がどこに位置しているかを常に気にし、下の人間だと見るや否や、尊大に振る舞います。

 

自分では問題を解決できず、権力が大好きなので、何かあると「先生にいいつけてやる」(笑)、「警察に通報してやる」です。権力の腐敗には寛容です。それどころか、自分もその儲け話に加えられると大喜びです。サル共にはモラルをもって権力を監視するなど出来ない芸当です。だから三権分立も骨抜きです。正しいか、悪いかではなく、上位の人達がどう動くかが日本人の判断基準です。自分の通報によって弱い人が権力によって叩き潰されるのを見ると大いに喜ぶ人達なのです。

 

日本人は、人間として自然な暖かい感情に導かれて、横方向の人々と、真の意味で協力しあうことができません。仲間だと思っているグループでも、そこには何かしら上下関係が発生します。ボスを崇める一方で、メンバー同士で足の引っ張り合いをするという醜態を小さなコミュニティで今日も繰り広げているのです。日本人は上の人間へのお追従やおべっかはしても、同僚や下の人達にはとても冷たい人々です。表面上は笑っていても陰で何をたくらんでいるのか分からない信用できない人間です。

 

自ら何かを獲得するのではなく、上にいる指導者様や先生が何かをしてくれると思っているのと同時に、日本人は何かをタダで貰うこと、してもらうことを当然の権利だと思っています。だから厚かましいことを平気で要求します。下の者には、自分に無条件、無制限に従う義務があると考え、自分が何らかのルールに従う以上に厳しく、細かいルールを守るべきだと、無神経な言葉できつく他人を注意したりします。

 

このように日本人は自らの考えもないままに、上の意向に従って右へ左へと揺れ動いている葦のようなものです。指導者様が言えば、気がふれたように同じ製品を大量生産し集中豪雨のような輸出攻勢をかけ、隣国を憎めと言われれば、皆で罵詈雑言を浴びせ、戦争に行けと言われれば、カミカゼ・アタックで死ぬまで戦います。このような気の狂った全体主義のような国だからこそ、日本は世界の迷惑となっているのです。

世界にとって日本の退場が適切な理由

日本を退場させることが、世界の人々にとってどういった利点があるのか、すなわち日本のどういうところが世界にとって迷惑なのかを考えてみます。

 

(1)攻撃的、暴力的な民族性

アメリカに対し牙を向き、あろうことか先制攻撃をした

・もともとは中国の属国のようなものだったのに、中国を侵略、蹂躙し、植民地扱いをした。

・戦後は安物の大量生産品を集中豪雨的に海外に輸出し迷惑をかけた、自分のことしか考えられない身勝手な国である

・国連にとっての敵国であるにも関わらず、いまだに歴史を直視せず、核ミサイルへの野望を捨てていない

・敗戦後、一度も謝ったことが無く、それどころか隣国への敵意をむき出しにする極右的でファナティック(狂信的)な人々が多い

 

(2)不透明で効率の悪い組織

・形だけは民主主義の法治国家であるが、実態は、人治国家である。人々は無神論者であり、理念もポリシーも持っていない

・組織レベルで、環境、社会、政治を改善し、発展させていくことができない

・組織のそこかしこで腐敗が発生しやすく、自浄能力がまったくなく、効率の悪い組織である

 

(3)日本人のモラルの無さ

小児性愛者が多く、「ヘンタイ」アニメやゲーム、AVを量産している

・中絶が異常に多く、若い女性と医者によって信じられないような大量虐殺が行われている

・人身売買が目立って多い国である

・中世司法で、世界が驚くような人権無視国家である

・社会が歪んでいて、自殺者が異常に多い

・嘘ばかりついて信用できない人々である(核の無い世界を、と言いながら、一方で、核武装や隣国との戦争を望んでいる)

 

(4)日本人の人種的劣等性

・中国、韓国と比べて、日本は文化的に亜流である。

・英語教育を受けながら、英語を話せない。白痴、無能と見られてもしょうがない

・創造的な発想ができず、モノマネしかできない

・背が小さく幼児体型で、脚が曲がっており、容姿も醜い人達である

 

隣国が攻めてくると怯えている人もいますが、日本にはそんな価値がるのでしょうか。資産は今のシステムで搾取が可能だし、米軍を抜きにすれば軍事的脅威など無きに等しいのです。移住する価値もないので、荒れ地にして軍事基地を置いておくしかありません。しかし心配な人にとっては、やはり日本を守ってくれるのは、あの人しか居ないのかもしれませんね(笑)

ひとつのことだけに集中するのを許されない日本人

日本人はひとつのことに集中し過ぎることを許されません。常に周りに気を配り、自分がどういう状況に置かれているか、そしてどのような役割と行動を期待されているかを常に意識していなければなりません。これが過度の同調圧力を持つ日本社会で生き抜くための、もっとも賢明な方法だったのです。

 

こういうことが出来ない人間は、「常識がない」、「気配りが足りない」、「注意力がない」と呼ばれて怒りの対象になります。ひとつの趣味にのめり込んでしまうようなヲタク、ギークは、この上ない軽蔑と侮辱の対象であり、気味の悪い人と思われています。こういう人達は、日本のムラ社会、共同体の調和を乱す悪人です。電車のダイヤを乱す飛び込み自殺者も憎しみの対象です。また左翼(笑)も古き良き日本の調和を乱す連中なので、本能的に嫌悪感を持たれています。だから日本人はそういった連中を非難することに何ら悪気を感じないわけです。

 

日本では法を犯すより調和を乱すことの方が罪悪であり、それを取り締まる警察が愚民の間では大人気です。「警察24時」とか警察ドラマはあいかわらず安定した視聴率をかせいでいます。法律が厳しくなる度に庶民は喜びます。為政者が力を増すと自分や日本全体が偉くなったようで誇らしく感じます。だから権力はますます増長し、愚民はますます自分の首を絞めることになる、しかし彼らはそれを心底から望んでいるのです。

 

過度の集中が許されない一方で、日本人はすべての事柄に万遍なく通じている必要があります。日本シリーズが始まったら野球の話、ハロウインになったらなったで、その話題にいちいち、ついていかなければなりません。「そんなの興味ないから」という応えはあってはならないのです。

 

日本ではあいかわらず「ジェネラリスト」は社会的地位が高く、「スペシャリスト」は収入も地位も低いままです。抜きんでていると「匠」とか「名人」とか形ばかりの栄誉を与えられますが、その地位は不安定です。愚直なまでの仕事への専心を称えられますが、それは無意識にある「馬鹿」という蔑みと常に表裏一体です。

 

バランス感覚があるというのは一般的には良いことです。特別なことは成し遂げられなくても、可もなく不可もない無難な人生を送れるでしょう。しかりひとつのことに過度に集中するという事が許されないので、偉大なことを成し遂げる天才的な人物はあらわれにくいのです。

 

また例え、バランス感覚や中庸を目指すセンスがあったとしても、日本のそれは理念や信条に基づいたものではなく、平均的な日本人が考える「常識」に同調しているにすぎません。だから世界では非常識なことがらが、日本では正常と見なされ、上から下まで一体となって間違った方向に進んでしまったりするのです。日本人全体が、世界から気味悪がられているゆえんです。

「ロードレイジ」というレッテル貼りによって不安を解消する人達

煽りなどの危険行為をするドライバーを日本でも「ロードレイジ」(Road rage)と呼ぶことにしたようです(笑) 

 

人間はある事柄を見て不安を覚えると、その「不協和」を解消するように動きます。煽り行為や危険運転などを行う可能性は誰にでも潜んでいるものですが、自分も含めて、周りにそんなドライバーが溢れているという事実を認めたくないのです。そのため、そういった行為をする人間は、ストレスにさらされ欲求不満を解消できない未熟で特別な人間であるとしておくわけです。そうすれば、とりあえず不安を解消できますし、次回、嫌な体験をした時にも「あいつはロードレイジだ、たまたまそういった下劣な人間に遭遇してしまっただけだ。」と言って自分の心をとりあえず守ることができるのです。

 

煽り運転を正確に定義することは困難で、警察が車間距離違反で取り締まるのも難しいのです。しかし大衆の不安や不満は解消しなければならない、そこで御用学者が満を持してメディアに登場して、こういった理屈やレッテル貼りを使って大衆をなだめるのです。

 

こういった認知的な歪みは、体制側からもたらされることもありますが、多くはその人自身が望んで、そのような解釈を進んで作り上げ、受け入れてしまいます。

 

認知的不協和」という言葉を広めた心理学者、レオン・フェスティンガーは、あるカルト教団を調査しました。この世が終わるという教祖の予言を信じていたカルト教団の信者たちは、いざ預言が外れたときに、その信仰が薄れるどころか、「教祖の祈りによって終わりを免れた」と解釈して、かえって信仰は強まったのです。

 

同じような例を挙げると、ある政党の持続的な政策によって自分の生活が貧しくなっているという事実があり、もう今の自分には現状を変えることはできないという無力感を実は感じている人がいたとします、その人は不安と不満を解消するため、却って、その政党の良い点を褒め上げ、より熱心に支持するようになり、他の政党の議員達は実務能力のない無能な奴らだと考えてしまうケースがあります。

 

また、婚期を逃した女性は、パートナーの条件をどんどん上げていきます。今まで良い相手に恵まれなかった、自分は長い間、それを甘受してきてしまった、もう失敗は嫌だ、そういった不満を解消するには、よほど良い相手でなければならないと考えて、ますます結婚できなくなってしまうのです。

 

ことほどさように人間というのは、自分の人生に悪影響を及ぼすような事であっても、事実を歪んで認識し、とりあえず現在の不安を解消しようとしてしまうのです。そのため、一見、愚かに見えるような選択を多くの人達がするのです。

煽り運転への対処法に見る日本人の愚かさ

煽り運転のあげく、クルマを停止させられたらどうするか、その対処法がSNSや各サイトに載っていますが、本当にこれらが適切な対処方法なのでしょうか。問題点を挙げてみましょう。

 

(1)「クルマを止めさせられそうになったら、安全な左側に寄る」なんてことができるでしょうか? 向こうは無理やり停止させようとしているのです。そんな都合の良い場所に止めさせてくれるわけがありません。

 

(2)ドアをロックし、窓を閉めて、ハザードを炊かなければならないのですが、こういった思いがけない緊急時に、これだけの事が短時間で冷静に出来る人が、どれほど居るでしょうか。件の事故でさえ、夜間なのにハザードを炊く心の余裕すらなかったのです。ドアを開けられたり、窓に腕を突っ込まれたら、もうアウトです。無理やり排除したらあなたが加害者になる危険性さえあります。

 

(3)警察が来るまでクルマの中で待つということですが、警察はすぐに来てくれるのでしょうか。そもそも事件でも事故でもなく、ただクルマが2台、路上に止まったというだけのことです。法律違反の明確な証拠は現場では検証不可能です。警察だって暇ではないのです。少なくとも「相手がクルマを壊しています。」とでも言わなければ、来てくれる可能性は全くないでしょう。(「対処法」を発信しているのが、警察ではなく、クルマ雑誌関係者であったり、元警官の話だったりすることに注意してください。警察は何も公的な見解を述べていません。煽られて止められたぐらいで、警察は対応できないと暗に言っているのです。)

 

(4)警察は来てくれない、通りすがりのクルマからは「邪魔だ!」と言われクラクショを鳴らされたり、意図的に無視される。相手からは、降りて話をするように迫られる。諦める様子はない。どうしますか? いつまでもクルマに閉じこもっていても、らちがあきません。事故の危険性も高まります。結局はあなたが何らかの行動を起こすしかないのです。

 

(5)クルマに籠っているあいだ、相手に対して「謝る」、「絶対に謝らない」、「無視する」など様々なことが言われています。どれが良いかは状況や、その後、どう対処するつもりなのかによって変わってきます。結局は自分で考えて行動するしかないのです。

 

日本人は自分でものを考えるのが苦手なので、こういった情報に安易に飛びついてしまいます。警察に頼れば何とかしてくれるという幻想も抱いています。

 

この件に関して、どうすべきかというのは状況によって変わってきます。いずれにせよ自分で行動を起こして解決するしかありません。場合によっては、相手のクルマに接触してでも逃げた方が良い場合もあるでしょう。もちろんあなたは加害者になりますが、事件、事故になるので、警察が来てくれるかもしれません(笑) 不満かもしれませんが、それが自己責任の社会というものです。