kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

自分の悪を正当化してしまうサイコパス

サイコパスには、物心ついた頃からそうであった者もいれば、途中からサイコパスとなる道を選んでしまった人もいます。サイコパスは自己中心的で、自分の為すことを全て正当化してしまうところに特徴があります。

 

途中からサイコパスとなってしまう場合、発達障害者であった者が、段々と邪悪なサイコパスとなってしまうことがあります。その例として宅間守を挙げてみます。

 

発達障害者は、悪い意図を持っていなくても、周囲に迷惑をかけてしまいます。普通の人間は無意識のうちに周りの人間を観察し絶えず自分の行動や思考を微調整することができます。人混みのなかでどう歩けばよいかとか、人と適切に話をしてどのように笑えばいいかなどです。どころが、発達障害者は、このような、普通の人にとって当たり前に思われることが上手くできないのです。

 

パソコンの電源を入れると、デーモンと言われる様々なプログラムが勝手に必要なタスクを起動したり記録領域から必要なものを読み込んだりして、PCを人が使える状態にまで持って行ってくれます。また各種のドライバーが勝手にプリンタやマウスを認識して使えるようにしてくれます。こうして作業者は自分にとって必要な仕事だけに集中できるのです。

 

言ってみれば発達障害者というのは、デーモンやドライバーが機能不全であるような人達なのです。その為、世の中と上手く渡りあうには、意識して歩いたり、会話したり、笑ったりという行為をしなければならず、大変な緊張と苦労を伴うのです。

 

解決方法として、常に意識を集中し、そういった普通の日常生活を送れるよう日々努力することがひとつあります。あるいは何か特別な才能に恵まれた人は、変人だと言われながらもそれによって社会に認められ生きていくことができます。あるいは、上手く生きていけないことに嫌気がさして、引きこもりになったり、自殺したりする人がいます。

 

宅間守の場合、周囲と上手くいかないことに悩み、希死念慮もありました。しかし途中からこう考えたのです。自分がこのような不条理を受けて苦しんでいるのならば、他の恵まれた人達にも不条理を味あわせてやろう。そうしてから死のうと。こうして彼は一線を越えて、自分の頭に浮かんだ悪を正当化してしまったのです。

 

しかし世の中には、上のような発達障害を持たず、むしろ才能に恵まれながらもサイコパスになってしまう人もいます。相手の感情を読むのが苦手だったり、自己尊大であったりした傾向が多少あって周りの人間とトラブルを起こしても、早いころから理性によってそれを正当化してしまうのです。

 

こういった人間はさらに邪悪と言えるでしょう。そしてそんな人物が一国のリーダーであったとしたら、自分の政策によって大勢の人間が苦しんだり死ぬことになったとしても何とも思わず、むしろ楽しんでいることでしょう。

「心の風邪」で処方された薬によって、却って症状が悪化するとき

「心のカゼ」と称され、簡単にうつ病と人々が診断されるようになり、抗うつ薬も気軽に処方される時代となりました。この抗鬱剤について少し見てみましょう。

 

抗鬱剤として日本で主に使われているのはSSRIや、三環系ですが、これらはどちらも脳内の伝達物質であるセロトニンの効きをよくすることを狙ったものです。ところが抗鬱剤を使って脳内のセロトニンの効果を高めようとすると、今度はドーパミンが相対的に減ってしまうことがあるのです。アセチルコリンドーパミンの関係ほど明確に認識されてはいませんが…。

 

ドーパミンは、やる気や、強い感情に関係する脳内伝達物質です。美味しいものを食べたり、好きな事に興じようとしたりするときに放出されます。ただし増え過ぎると興奮性が高まり、ついには幻覚や幻聴が現れます。セロトニンの方は落ち着いた喜びや心地よさが得られる脳内物質です。

 

抗鬱剤の処方で、却って希死念慮を増幅させてしまうことがあるのは、このドーパミンの減少が関係していると思われます。

 

精神病の治療において、ドーパミンの抑制やセロトニンの効果が重要視されたのには訳があります。効きの良い化学合成の治療薬が開発されるまで、精神病院の主な役割は、興奮する患者を押さえつけておくことでした。ドーパミンをカットする抗精神病薬メジャートランキライザー)は強力な精神安定効果があり、暴れる患者を安静にするのに有効です。いわば拘束着の代わりとなるのです。セロトニンの効果を強化するクスリも、患者を落ち着かせる方向に働きます。簡単に言うと、ほとんどの向精神薬は、頭の動きを鈍くすることによって患者を安定させるという効果を狙ったものなのです。

 

また、欧米人の場合、ドーパミンの分泌が比較的多く、反対にセロトニンが少ないという傾向があります。日本人は反対で、落ち着き過ぎる反面、強い感情が見られない傾向があります。これが麻薬の嗜好にも表れているようで、欧米ではダウナー系の麻薬が好まれ、日本ではアンフェタミンメタンフェタミンなどのアッパー系の麻薬が好まれると言われています。それだけ日本人はドーパミンに飢えているのかもしれません(笑)

 

話を戻すと、落ち込んでしまっている日本人の治療にあたっては、個人差はありますが、セロトニンを増やすというより、少なくなってしまったドーパミンをどう増やすかという所から考えた方が良いのです。特に遺伝的に落ち込みやすく、これといったストレス要因が見つからずにやる気を失っているような人です。ところがこういった人達は統合失調症陰性症状と見られて、抗精神病薬や、非定型抗精神病薬を処方されてしまうことがあるのです。

 

以前、ドーパミンの効果を増やす、メチルフェニデートリタリンコンサータ)というアンフェタミンドーパミンに構造が良く似たクスリがうつ病でも処方されることがあったのですが、依存性があるという事で処方対象と量が厳しく制限されるようになりました。今では、うつ病で処方されることはありません。

 

ということで気分が落ち込んで心療内科や精神科に行った場合、まず間違いなく、一般的な抗うつ剤を処方されると思いますが、それが却って症状を悪化させる可能性もあるのです。

 

しかし良い子の皆さんは、こんなネットのブログに書かれている事なんか信用しないで、TVでお医者さんが繰り返し語る言葉をよく聞いて、それに忠実に従ってください(笑)

権力にしがみつくサイコパスへの対処

権力を握ってしまったサイコパスをその地位から降ろすのは至難の業です。開き直ったサイコパスはダイヤモンドのように傷つかず(笑)、ある意味最強です。人並みはずれた無神経さ、情のなさ、そして周りを外敵か、利用し尽くす対象としてしか見ていない人間は厄介なものです。といっても方法が無いわけではありません。

 

まず、相手の感情をコントロールしたいというのが主な動機になっているので、無意味に相手を怒らせてしまうような一見愚かなこともします。そうした失敗を狙っていくのが手です。相手の感情を意識しないと読めないので、そういった点では馬鹿と言えます。

 

サイコパスとの付き合いは困難ですが、互いに利用しあうという点で利害を一致させることはできます。表面上、仲よくなった後に、耳元でささやいて洗脳することもできます。ただし少しでも、支配されていると感じると直ちに反発するので注意が必要です。影響を与えることは可能だが、権力という形では行使できないのです。

 

サイコパスは現在のところ病気ではありませんし、それだけで犯罪者になるわけでもありません。しかし強制的に行動を左右することは困難ですし、自発的に正常な人間に変わることはさらに絶望的です。もし本当に問題ばかり起こし、地位を利用して多くの人間に害を与えているサイコパスがいるのならば、合法的に薬漬けにしてでも隔離しておくしかないでしょう。

丈夫な兵士を産む女性の選び方

これからの日本、偉大なる指導者様(笑)のもと、国防のために、あるいは傭兵となって、世界各地で活躍できる兵隊が必要となってきます。その為には屈強な兵士となるような子供を沢山、作ってもらわなければいけません。

 

丈夫な子供ができるように、若い男性には適切な女性を選んでもらう必要があるので、為政者が望むであろう、その条件を考えてみます。今回の場合、前提となる「男性が必要とする女性の機能要件」は以下の通りとします。

(1)子供を産む機械

(2)男性の身の回りの世話をする召使、奴隷

(3)公的な場における男性にとってのアクセサリー

(4)男性にとっての癒し

(5)肉欲、性愛の対象

(6)社会的結婚制度の相手

(7)男性の自己満足の対象(相手の夢をかなえてあげるなど)

 

これらを全て満たすのは難しいのですが、優秀な兵士となる子供を産み、育てるには、(1)と(2)の要件を満たしていれば大丈夫です。

 

それを踏まえて、ふさわしい女性の条件を考えてみます。優れた男性の遺伝的特性はそのまま息子に受け継がれていきますが、基本的な肉体的、精神的体質は女性のそれを受け継ぎます。

 

ですので肉体的にも精神的にも健康な女性を選ぶことが第一条件です。痩せているよりも、ふくよかで大柄な女性の方がいいでしょう。また大き目の骨盤を備えていたほうが出産時のリスクを減らすことができます。容姿は兵士には関係ないのでどうでもよいのです。

 

さらに子供が生まれたら、模範的な日本男児となるべく息子に尽くすような献身的な特質を持つ女性である事が第二条件です。軍事教練で忙しい夫や息子を支え、彼らを戦地に送り出した後は、軍需工場において無給で働き、地域における防火訓練や竹槍訓練(笑)にいそしまなければなりません。

 

このように肉体的にも精神的にもたくましく健康的で献身的な女性が、軍政にとって望ましい女性です。それ以外は彼らにとって重要ではないのです。

「やらない善よりやる偽善」というウソ

 誰が言い出したのか、「やらない善よりやる偽善」という言葉があります。311の時には、多くの人たちが軽い気持ちで、この言葉に同調して寄付をしました。本当に、何もしないより、偽善を行ったほうが良いのでしょうか。「やる偽善」の問題点をいくつか挙げてみます。

 

(1)善悪の区別のつかない人たちが、善、偽善を語っている

善悪など誰にも分かりません、例えば日本人が善意で買うチョコレートのおかげで西アフリカの子供たちが大勢苦しんでいるのかもしれないのです。偽善となるとさらに区別がつきません。つまり何だか分からない行為を、ただ言われるがままにやっているということになります。ですから、この手のスローガンに納得してしまう人は、誰かが「これは偽善だがやるべきだ!」と言えば、盲目的にそれに従ってしまう人です。

 

(2)偽善行為で潤うのは、悪である

この世は悪(偽善)が土台となっています。誰が言い出したか分からない、しかしおそらく権力に都合の良い、このスローガンに従うことは、悪を利することになるでしょう。実際に311で寄付された膨大なおカネは、ほとんど被害者には渡らずに、行政、電力会社やゼネコン、怪しい業者の懐に入っていきました。多くの被害者は未だに惨めな暮らしをしています。どうしたのでしょう。「やる偽善で、この人たちを救うべきだ」という声は聞かれませんね(笑)

 

(3)信念ではなく、「やる偽善」という軽い気持ちで行う、その無責任さ

その行為が「善か悪か」と言われると、人は躊躇するものです。「善」は照れ臭いし、「悪」は嫌です。しかし「やる偽善」と言われると、まったく軽い気持ちで行うことができます。というのも自分で判断しなくても良いからです。ただ言われた事に従っていれば良いと、感じてしまうのです。ここに、このスローガンの悪辣さを見ることができます。

 

(4)自分で考えずに言われたことを集団でやるという、その気味の悪さ

ドイツ陸軍の軍人、ハンス・フォン・ゼークトは、軍人を「勤勉で頭の良い者」、「怠け者で頭の良い者」、「怠け者で頭の悪い者」、「勤勉で頭の悪い者」に分け、「勤勉で頭の悪い者」は「銃殺にすべきだ」と述べていますが、「やらない善よりやる偽善」とは、まさに「勤勉で頭の悪い者」を地で行く行為です。自分の頭で考えずに、他人に踊らされるまま集団で同じ行動を繰り返す、しかもそれを良いことだと思っている。オリンピックで日本選手が皆、瓦礫バッジを付けて歩いていたという世界の常識では考えられないエピソードを思い出します。

 

この世は偽善が支配する世界です。気力、体力のある者から搾り取り、病気になったり弱ったりしたら、治療をしてまた搾り取る。その現実を巧妙に隠すために各種のプロパガンダがあります。広告代理店や経済新聞は、現代の大本営です。彼らの掲げるスローガンを真に受けて、日本人は皆で大合唱をしています。「日本は凄い」、「世界に誇る日本文化」、「日本は四季があって素晴らしい」、「日本は平和な国」と。まあ、それで皆が幸せな気持ちになるなら良いのでしょう。

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