kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

人が苦しんでいるのを見て喜ぶ病的な日本人

日本人は他人が苦しむ姿を見るのが、ことのほか、好きな人達です。プロ野球で恒例の無駄な自主トレが始まると、監督が遅い時間にやって来て、「おう、やってる、やってる」と目を細めて喜びます。立場の低い者が何か失敗すると、ルールや大義を持ち出して、偉そうに叱り飛ばします。

 

「アンブロークン」という、実話に基づいた、日本での捕虜収容所生活を外国人捕虜の視点から描いた映画があります。日本では悪意のあるプロパガンダや脅迫により、あまり上映されなかった映画です。

 

ここに病的な日本兵が登場します。この収容所所長は、オリンピック出場経験のある主人公を目の敵にして、ことあるごとに虐め抜くのです。プロデューサーは、その所長を「彼は病気だ」と述べていましたが、まったくその通りです。悪意があるというより病人なのです。

 

子供は幼稚なイジメを好むものですが、男性の場合、理性が発達し、周囲の物事を論理的に解決する習慣がつくようになると、そのような劣等感とその裏返しである優越感によるおかしなイジメは行わないようになるものです。しかしこの日本兵は、他の多くの日本人と同じく幼稚な虐めを繰り返すのです。

 

国民教育の目的のひとつは、皆と同じ行動をするように訓練し、自分たちと少しでも違うものを徹底的に排除するように習慣づけることです。だから大人になってもイジメが止められない。手段は巧妙化し、相手のことを思った訓練や教育といった形をとることもある。相手が苦しむさまを見て喜ぶ習慣までついている。日本ほど差別の激しい国はないのです。しかし相手が強いと見るとすぐにしっぽを振る。

 

日本人は犬と同じです。自分では何も考えられず、居所とエサをもらって、ただ、強い者には従い、外敵にはうるさくワンワンと吠えている連中なのです。

 

そのように訓練され、それが良いことだと思っているから、精神年齢(≠IQ)が子供のままで止まってしまっている。デモクラシーを理解していないし、欲してもいない、だから政治も無茶苦茶。自分も虐げられているのに、それも分かっていない。

 

自分達が奴隷だからといって、相手にも同じように奴隷であることを要求してしまう日本人は世界中で嫌われているのです。

 

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トヨタの強みと復活への道

トヨタは庶民向けに低い次元でバランスされた、魅力のない大衆車をうんざりするほど作ったかと思うと、トヨタ2000GTAE86カローラレビン、トレノ)、初代MR2(AW11)、スープラ(A80)、トヨタ86、レクサスLFAなど、価格帯にかかわらず、面白いクルマも時々作るメーカーでもあります。こういった魅力があるからこそ、多くのクルマ好きにもそっぽを向かれずにいるところがあります。

 

これを可能にしたトヨタの強みを考えてみると、トヨタの主査が、カネと開発の両面において比較的自由な裁量権を持っていることがひとつ挙げられると思います。言わば理想的なプロジェクトマネージャと言えるのです。ですからその層毎に第一級の性能を備えた個性的なクルマを作ることができるのです。

 

しかしそのトヨタにも凋落の兆しが見えています。果たしてトヨタはこれを回避できるのでしょうか。

 

まずひとつ、自動運転が可能なこれからの電気自動車というのは、今までの自動車の延長線上で考えてはいけないということです。全く別物の輸送手段であり、巨大なモバイル端末だからです。

 

ですので自動車メーカーも、旧来のガソリン車やハイブリッド車とは、まったく別物として扱うべきで、思い切って別会社を作ったほうが良いのです。巨艦では小回りが利きません。ガソリン車を作る親会社はどんどん衰退していくでしょうが、新たな子会社は主軸となるでしょう。そこでプロジェクトマネージャのセンスを生かしたモノづくりをするのです。

 

次世代の自動車は、IT、AI、通信、科学、数学、工学の最先端の知見や技術が結集されたものになります。その為、自動車メーカーも最先端の巨大な総合研究所を整備する必要があります。M&Aやカネで世界中からアイデアや技術を買うという手もありますが、それではいつまでたっても後塵を拝するでしょう。上手く育てれば日本を代表する研究所となります。

 

またお金がかかりますが、世界中で動いている自社のクルマに、各種センサーを備えた最先端の運転記録装置を無料で配布するというのもいいでしょう。情報をうまく集められれば、貴重なビッグデータとなり、それは財産となります。

 

このように自動車メーカーも、巨大IT企業のようなものに変わっていく必要があり、それを認識し実行できたものだけが生き残っていくことでしょう。

多重下請構造をもつ日本のIT産業は絶対に勝つことはできない

日本はIT産業に力を入れているようにも見えますが、今のままでは絶対に生き残る事はできないでしょう。将来の崩壊を予感しながらも、束の間のカネ儲けをしているようです。

 

いうまでもなく日本のIT業界は、建設業や他の多くの産業と同じく多重下請け構造となっています。官庁や大企業などの発注者がいて、元請け、そして何重もの下請け、孫請けが存在するわけです。実際にプログラムを作るプログラマー、コーダーは、最底辺に位置する労働者です。

 

極端な話ですが、一人頭300万円で発注した仕事が、管理費や基本設計の費用などが抜かれて、最終的に50万円程度で発注されることになります。

 

海外ではシステムエンジニアプログラマーというのは発明家と同じように創造的な仕事と見なされていますが、日本ではきついが誰にでも出来る仕事と見られています。そもそも日本ではシステム作りに創造性は求められていないのです。

 

日本では客の我儘な要求に合わせて、カスタム的に業務アプリを作り上げるのが主流です。海外では予め用意されているパッケージソフトに業務を合わせるのですが、日本ではスクラッチ開発で一から作り上げます。パッケージを用いたとしても、客に合わせて仕様を細かく変えるのが普通です。

 

300万円もらってそれに見合った創造性をいかんなく発揮して主体的に作り上げたシステムと、50万円もらって言われるがままに行った仕事とでは、勝敗は明らかです。

 

日本のプログラマーは消耗品です。自発的に創造性を発揮し仕事をしても、それは全く報われず、相次ぐ仕様変更と劣悪な環境で、心や体を病んで消えていきます。

 

内需はどんどん先細りになり仕事は減っていくが、日本でしか通用しないので海外展開ができない。それは日本の注文住宅を海外で売ろうとするようなものだからです。日本のメーカーや、システムインテグレーターは、この狭い日本で官庁や自治体、大企業に寄生しながら細々と商売を続けていくしかないのです。

映画「シン・ゴジラ」に登場する異様な日本

シン・ゴジラ」は楽しく観ましたが、あらためて異様な日本についての描写が目立つ内容でした。その点はよく出来ていました。しかし共感を狙った層が日本限定的なものであり、極めてニッチだったので、海外では全然興行収入をあげられませんでした。日本人で政治にうんざりしている層なら、「あるある」と思わせる内容でしたが、そうでなければ長くて退屈な映画だったでしょう。以下、いくつか挙げてみます。

 

1.官僚は凄いというメッセージ

(1)政治家はクズだが官僚は志が高く将来を見据えている

(2)官僚は寝ないで頑張る、家庭よりも仕事を優先する

 

2.自衛隊は凄いというメッセージ

(1)自衛隊がいかに最新の兵器を有していて頼りになるか

(2)自衛隊がいかに組織立っていて懸命に頑張ってるか

 

3.日本の組織の欠陥について

(1)非常時でもまるで危機がないかの如く、ただ眼前の事務処理に集中

(2)何があっても、いかに平時のシステムと秩序を維持するかに汲々としている

(3)危機的状況でも呑気に将来の出世話や法解釈についての話をしている

(4)集団で動き、個人があまりフォーカスされていない。さらに人間的魅力も乏しい(だから映画映えしない)

(5)人が大量に死んでも、まるで感情が見えない。家族に不幸があっても淡々と仕事を優先する

(6)些細なミスも許されない、繊細で代替シナリオのない作戦を好む

(7)失敗したら終わってしまうような巨大PJに対するギャンブル的な入れ込みよう

 

4.国民は権威に服従すべきである

(1)とりあえず官僚や自衛隊に任せておけば大丈夫である、彼らが何とかしてくれる

(2)危機になると政治家を押しのけて、志の高い官僚が現れ、彼が日本を救ってくれる

 

5.日本人の歪んだ深層心理

(1)いつでも被害者面

(2)英知を尽くした最終兵器に対する盲目的な信仰

(3)「皇国の興廃この一戦にあり」的な、最終決戦に対する異様な期待と盛り上がり

個人に責任・義務を転嫁する国

高速道路で対向車がバスに飛び込む事故が起こった時に、「とっさにハンドルを左に切った運転手が凄い」とか、「シートベルト着用を呼びかけたのが偉い」という報道がなされました。

 

なぜ医師が運転していたクルマが左のガードレールにぶつかった後、対向車線に飛び込むにまで至ったのかという重大な原因究明は、ウヤムヤにされました。その代わり、バスのクルーを称える報道と、中国での高速道路事故のニュース、そして乗用車は「平均時速90kmで走行していた」、「運転手の体からアルコールやドラッグは検出されなかった」というニュースが素早く流されました。映像を見る限り、相対速度は時速250km以上はあるように感じましたが(笑)

 

医師会と県警との暖かい関係(笑)もありますが、インフラを安全に整備すべき行政から、愚民どもの目をそらす必要もあったのでしょう。さらに被害者こそ事故が起こらないように注意すべきであるという、責任や注意義務の個人へのすり替えが行われています。

 

また別の話ですが、とある餃子店が、貧乏学生の為に、皿洗いを条件に飯代を無料にしているのが素晴らしいというツイートが溢れかえったことがありました。昔の貧乏学生と今の貧乏学生では意味合いが違います。学生時点でメシを食えないほど貧乏なら、大学を卒業しても階層を這い上がることなどできないでしょう。これもセーフティネットを整備すべき行政から、一個人のボランティアに注意をそらしているニュースの事例です。

 

法律やルールは民を守るためにあるのではありません。強者を守り、馬鹿な愚民どもを働かせ、余計なことをしないように縛るためにあるのです。愚民達は自分たちで自分の身を守らなければならない、かしこき為政者は、いみじくもそう教えて下さっているのです。