kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

日本の人工知能ビジネスの限界

日本の企業が、日本語でそれらしく対話ができる人工知能をリリースしていますが、かけたであろう労力の割に独創性が乏しいもので、日本の最先端とされる人工知能研究ならびにビジネスの限界が見えるような気がします。

http://news.mynavi.jp/news/2016/10/25/104/

 

(1)ワクワクするようなものがない

例えば(AIではありませんが)IBMのワトソンだと、TVのクイズ番組に出て勝利しましたというトピックスがあります。Googleの「アルファ碁」はプロの棋士を破ったことで有名です。人寄せパンダ的なものではありますが、こういう分かりやすさがある事が必要です。

 

(2)これまでの技術の延長線上でしかなく、何が新しいのかよく分からない

ワクワクするものが無いのは、これまでの技術の延長線上にしかないものだからです。単に各研究所が作った既存のものを組み合わせてみましたというだけなのです。人工知能による会話というのはこれまでもあった訳で、それに精度のよい音声認識技術を組み合わせましたというものです。「ちょっとづつ改良し、ちょっとづつ機能が増えて良くなっています」という所が、いかにも日本的です。

 

(3)単なる翻案でしかない

外国ではやっているものを日本に翻案してみましたというものに過ぎず、「今はやりの人工知能、それを日本で日本語を使えるように作ってみました」というもので、猿真似の域を脱していません。

 

(4)一番大切な部分を外注、協業にしてしまっている

基本的な応対シナリオ作り、客に合わせたチューニングなどノウハウを蓄積できる大切な部分を外注や、アライアンスの相手に丸投げしてしまっています。これでは未来はないでしょう。

 

(5)「モノを作りました」で終わっている

結局、旧来の日本的なモノ作りから脱していません。「モノをつくりました。あとは営業、下請けや販売会社に売ってもらえばいい」みたいな考えです。プラットフォームやビジネススキームを作ったつもりになって、それだけで満足してしまっているのです。

 

(6)売り込みはBtoBの法人営業頼み

(1)の「分かりやすい魅力がない」というのにも関連しますが、書かれている説明がそっけないのです。要するに法人向けの商売だから、詳しい説明や売り込みは営業任せということなのです。ここに作り手の傲慢と、想像力の欠如、努力不足が垣間見えてしまいます。

日本の復興において駆逐される日本人

ユダヤ系の作家、アイザック・アシモフSF小説に「銀河帝国の興亡」というのがあります。巨大な銀河帝国の崩壊を予測した科学者が、文明が衰退した後でも、できるだけ速やかに第2の銀河帝国が再建されるよう、2つのファウンデーション(土台)を密かに作っておきます。

 

第一ファウンデーションは、動乱の影響を避けるために、銀河の辺境に作り、第二ファウンデーションは、銀河帝国の中心だった都市に密かに設けられました。

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イスラエルの民は幾多の動乱を経て、自国を消失しましたが、いつか再会する時の為に、お互いの風習を守り抜くことを約束して世界に散っていきました。

 

そのいくつかは最果ての極東にたどり着き、その風習を守ってきました。聖書の預言ではイスラエルの民は再び一つとなり、多くの祝福を得て世界を治めることになっています。

 

その祝福される国こそが日本である、というのが日ユ同祖論のひとつの主張です。しかし現在のイスラエルから見るとちょっと違います。イスラエルはアミシャーブを通して世界に散った同胞(失われた10支族)を探し、その帰還を手伝っていますが、日本に関してはそういった話を聞きません。考えられる理由は次の通りです。(ユダヤ人にはきちんとした定義があるので、ここでは便宜上イスラエル人と呼びます)

 

(1)日本にイスラエル人の子孫はいない

(2)イスラエル人の子孫はいるが、あえて帰ろうとしない(例えば支配層に位置するため)

(3)日本にはイスラエル人の子孫が多いため別の方法を考えている

 

もし理由(3)が正しい(失われた10支族(さらには2支族)も相当数居る)場合、次のユダ族とエフライム族についての予言に従って日本を再興させるにあたり、邪魔なものがあります。それは日本人そのものです。

 

その地で彼らを一つの民となしてイスラエルの山々におらせ、ひとりの王が彼ら全体の王となり、彼らは重ねて二つの国民とならず、再び二つの国に分れない。(エゼキエル37:22)

 

日本人は過去の出自を忘れているどころか、多くの人がユダヤの神もキリストも信じていない無神論者です。ユダヤ人にとっては、彼らを滅ぼし、代わりに中国系や朝鮮系の支配層とともに、現在のユダヤ人が入植して、新しい「日本人」として成り代わり、日本を再興して、現イスラエルと共に世界を治める場所とすればよいのです。ユダヤ人にとって、中東におけるパレスチナ人やイスラム教徒が邪魔であるように、日本人も邪魔であり駆逐する必要があるのです。

 

こうして世界の中心であるエルサレムを再び手にするイスラエルと、極東にある日本は一つとなり、先の預言が実現するのです。

減塩なんかしているから倒れたり調子が悪くなったりする

熱中症の季節になりましたが、あいもかわらずTVでは、「休憩」と「水分をとること」だけが強調されており、大事な塩分補給がほとんど人々に伝わっていません。

 

ちょっと調べれば、ネットのサイトに「塩分を適切にとること」というのも申し訳程度に載っていたりしますが、「日本人は塩分をとりすぎ」、「日本人は減塩」というTVメディアの言葉にかき消されています。

 

カップめんに入っているような、精製塩や化学調味料は要らないですが、自然塩は意識して毎日摂らないといけないぐらい、多くの人々にとって不足しているのです。

 

それなのに減塩給食や、コストカットで塩分控えめ(笑)な食事ばかりでは、日本の猛暑を乗り切れないでしょう。しかも使っている塩は精製塩です。

 

愚民御用達の医療紹介番組では、「減塩」を強調します。アナウンサーやタレントはアホ面をさらして、感心したように頷き、視聴者にもそれを求めます。

 

番組に出ている専門家は、科学、医療技術の進歩によって、この世から病人や病気がなくなる事を願っているのでしょうか。末端の人たちを除いて絶対にそうではありません。高給を食む彼らにとって、それは悪夢以外の何物でもありません。病気や病人は無くなって欲しくない、むしろ治療単価が高くなるような厄介な病気がどんどん増えて欲しいと思っているのです。

この世における問題解決能力の必要性

人間はこの世において、常時、なんらかの問題解決を迫られています。眼前で起こる様々な出来事、将来に予想される出来事、大きな問題から、小さな問題まで、押し寄せてくる問題を次々に解決して先に進んでいかなければなりません。

 

これを解決せずにおくと、トラブルに巻き込まれることはもちろん、自身の精神的な健康を損ない、異常行動や精神症状が現れるようになります。

 

問題解決ができなくなったり、それを放棄した結果が、引きこもりであり、ウツであり、自殺ということになります。

 

人生で求められる問題解決は大きく分けて2つあります。論理的な解決と、感情的な解決です。男性は主に論理的な矛盾を感じて、それを解決したがり、女性は感情的な不満の解決をしたがりますが、どちらも必要です。

 

自身の問題解決のみならず、他人の問題解決も上手に手伝ってあげられるような人間は、どこの世界に行っても重宝され、それなりの成功をおさめることができます。

 

「ミドルメン」という、インターネットでのカード決済仲介業で大儲けした人物を描いた映画で、この手の人間の例を見ることができます。仲裁の上手い若者が、その能力を活かし、殺しにまつわるマフィアとのトラブルや、検事からの起訴を、次々に交渉によって解決し成功していく様が描かれています。

 

論理的問題解決は、おもに一人になって考えるのが有効ですが、感情的な問題解決は他の人間との接触が不可欠です。問題の種類によって、適宜、解決方法を適切に選んでいく必要があるのです。問題解決の為の基準は自分のなかに確固たる理念を持ち、同時に他人の動向や意見により微調整することが必要です。

 

他人の問題解決を手伝う際には、男性か女性かによって、あるいはその時その人が何を求めているのかによって、論理的な解決なのか、感情的な解決なのか、最適な手段を選択しなければなりません。

 

日本は様々な問題の原因が巧妙に隠されており、また帰属集団によってルールが異なるため、解決が難しく、大多数の人にとって生きにくい社会です。多くの人たちは「抑圧」することによって、表面上我慢していますが、当然これは真の解決策ではありません。

 

ひるがえって、社会の上の方に行くと、今度はルールを決定し、いかようにも曲げられる側に立つので、問題解決は非常に容易です。彼らが実に気楽そうに見えるのはそういうことなのです。

ベートーヴェンの異色作、大フーガ(作品133)

ベートーヴェン弦楽四重奏曲、「大フーガ」(作品133)は、ベートーヴェン後期における異色の傑作です。ベートーヴェンはホモフォニー(和声音楽)を極めた作曲家でしたが、後期になるとそれはやり尽くしたとでも言うように、フーガのようなポリフォニー(多声音楽)に傾倒しだしました。

多声楽、特にフーガになると、どうしても和声という点からは外れる音が出てきますが、この「大フーガ」はもはや協和音や不協和音といった概念を超えてしまった、ベートーヴェンにおけるポリフォニーの極みに位置する作品です。

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曲の前半部分は各パートの弾く声部が、激しくぶつかりあい不協和を奏でますが、それまで聴いた事が無いような、暴力的で力強さに満ちた響きに圧倒されます。和声の点からは聞くに堪えない、しかし革新的なフーガで、聞き手を納得させてしまう曲です。

 

曲はマクロで見ると、大きく3つに分けられます。序奏から激しいフーガへと続く前半部分(0:05~5:00)、フーガで使われた主題をもとに多彩な変奏が続く中間部(5:00~11:25)、そして後半部(11:25~15:38)です。

 

前半部分では、楽器の順番や長さを変えながらフーガが何回も繰り返されます。中間部(5:00)は一転、穏やかになり、主題をもとにした甘い旋律を奏でますが、いろいろな形に変奏されていきます。特にトリルを中心とした演奏部分(8:32から10:20)は、スリリングで緊迫感があり、この曲の聴き所です。

 

そして後半部(11:25)に移り、コーダ(終結部)のような展開がありますが(11:25、12:57)、その度にはぐらかされます。その後穏やかな曲調(13:32)になって、またコーダと思わせたあと(13:52)、主題の断片が演奏され(14:18)、最後はこれほどの長い曲にしては、あっさりとしたコーダ(15:18)で曲を終了します。

 

終結部に向けて曲を盛り上げていくというのが、それまでのベートーヴェンであり、一般的にもそれが普通ですが、この曲は違うのです。それが、一聴すると竜頭蛇尾に聴こえる理由です。ただ個人的には、冒頭と同じ旋律が流れるあたり(14:51)で終わりに持っていった方が格好良かったかとは思います。

 

この曲の調は一応、変ロ長調ですが、冒頭の主題となる旋律も異様です。最初のド、ド#ー、シ♭ー、ラー、ドーですが、これでは主音がどこだか分かりません。次のレ、シ、ドで主音に納まりますが、通常の和音を構成しない音で作られた違和感を感じる旋律です。

 

半音が多く使われていますが、スムーズな転調を予想させるような音はわざと使われていません。当時の聞き手の期待を裏切るような異様な旋律だったのです。しかしベートーヴェンにとっては、今までも誰も聞いたことの無い新しい音楽を作ったという自信があったと思います。

 

理屈はともかくとしても、この曲には聞き手を圧倒する異様な雰囲気と力があります。単なるクラシック曲に留まらず、ジミ・ヘンドリックスの楽曲にも通じるようなパワーとカオスが感じられます。現代においても全く古臭さを感じさせない、ベートーヴェンの中でも重要な曲です。

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ベートーヴェン弦楽四重奏電子音楽とも相性がよいのです。こちらの方があるいは、曲の構造が分かりやすいかもしれません)

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番/大フーガ

Beethoven: Complete String Quartets