kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

この国が提供する「働き方」改革に騙される人々

小学校で午前中を5時限にして、放課後にゆとりを持たせようとするところが増えているそうです。これがこの国の考える「ゆとり」であり「働き方改革」です。

 

こなさなければならない量は変わらないのに、登校時刻を前倒しにして小学生や教員に無理を強いて、見かけ上の「ゆとり」を演出する。いったい何のための「改革」なのでしょうか。

 

ある食品企業が、基本給を1万円上げる代わりに、1日の労働時間を7.5時間に抑えるといいます。1万円をあげて、残業代を諦めさせたわけです。

 

また、ある商社が社員の深夜残業を禁止して、その代わりに、早朝出社を奨励しています。もちろん残業代は出ません。そのかわりに無料でバナナなどの朝食が食べられるそうです。

 

一事が万事、この調子です。

 

雇う側の理由にすぎないコスト削減を、「働き方改革」と称して、さも従業員側のメリットを考えた変革であるかのようにすり替えているわけです。

 

そのような朝三暮四に軽々しく乗ってしまう日本人はサル以下です。あるいは日本人は、諦めの良い民族だからしょうがない、とでも言えばよいのでしょうか。

"今"に集中できるのは自己実現者と奴隷、そして認知症患者のみ

ストレス対処方について「科学的に」紹介した、あるTV番組を見ていたら、「過去、未来に囚われずに今に集中することが大切だ」と言うような説明をしていて、失笑してしまいました。

 

理論的にはその通りです。「欲求5段階説」で有名な心理学者、アブラハム・マズローは、自己実現を達成した人間において共通に見られる特徴として、「今」に集中することを挙げています。

 

しかし「今」だけを考えていれば良いという、順風満帆で穏やかな環境と意識に恵まれた人間はごく少数者です。ほとんどの人たちは、過去がどうであったかを省みて、未来においてどう行動するのが最適なのかを、常に考えていかなければいけません。

 

それを考えなくてもよい、非自己実現者は、末端の奴隷労働者たちです。洗脳にどっぷりと浸かっている限り、彼らは幸せです。ストレスも感じません。

 

また、前頭葉と側頭葉が委縮してしまった認知症(ピック病)患者も、長期記憶が出来なくなっている為、「今」に生きている人たちで、ある意味、幸せと言えます。

 

皮肉にも、人間的に頂点に達している自己実現者と、末端の人間の両方は幸せなのです。それ以外は、過去と未来に悩まされ続けるのです。

銃剣道による優秀な兵士の教育

中学の武道のひとつとして銃剣道が加えられるそうです。優秀な兵隊を育てるには必要なことです。

 

剣道や柔道と違って、銃剣道は喉や腹を刺して、相手を死に至らしめることを目的とする、勇猛なスポーツです。リアル感が違います。一般の兵士達による殺し合いにおいて役立つかどうか分からない剣道や柔道よりも、よほど実用的です。

 

剣道においても激しい突きで、相手がうめき声をあげて尻もちをついて転ぶ様を見るのは快感です。それを競技として行えるのですから楽しいはずです。「鬼畜××」と、憎い相手の名前を叫びながら突くのもよいでしょう。憎しみとやる気が増します。

 

軍隊に入れて銃剣術を習わせる期間とコストの削減にも貢献します。国民皆兵の方針のもと、やがて徴兵制を施行するのですから、義務教育の間に銃剣道で鍛えておくようにするのは、正しいステップです。

 

国防意識が高まり、好戦的で優秀な若い兵士が育っていくのが楽しみです。戦場での華々しい活躍を後方から祈っています。

映画「ハクソーリッジ」にみるゾンビのような日本兵

メル・ギブソン監督の、沖縄戦における実在の衛生兵の活躍を描いた映画、「ハクソーリッジ」を観ました。米国では既にDVDが発売されていますが、日本では公開日もまだ決まっていません。

 

この映画は特に日本兵を異常なものとして描いているとか、悪意が込められているということはなく、極めてニュートラルな描写の映画であると感じました。冷静で客観的です。

 

それだからこそ気づくことがあります。艦砲射撃をしても、陣地を奪っても、相手を倒しても倒しても、日本兵の士気は衰えず、地下壕から這い出てきては、アメリカ兵を悩ませます。米軍は何度も突撃をくりかえし、地下壕を爆薬と火炎放射器で焼き払って、初めてごくわずかの生き残った日本兵が投降するのです。

 

映画の描写自体は非常に公平なのですが、あらためて見る日本兵はまるでゾンビのようです。形勢が不利になっても、負けが確実でも、負傷しても、降伏せずに攻撃してくる。自爆もする。これは不気味です。

 

原爆を落としてやっと日本を降伏させることができた、それでなければ多大なる犠牲を双方で払うことになっただろうという理屈に首肯せざるを得ないのです。日本だって降伏するきっかけが欲しかったのです。

 

通常、戦場での死亡率は5%程度と言われますが、日本兵のそれは20%以上と突出していました。

 

それほどまでに戦場の日本兵というのは異常だったのです。

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映画「金陵十三釵」(The Flowers Of War)に見る日本人の特徴

中国映画、「金陵十三釵(きんりょうじゅうさんさ)」(The Flowers Of War)において、日本の兵士や士官達の興味深い行動を見ることができます。この映画は、日本軍が占領した南京において、女子学生達が牧師に扮した米国人によって教会から脱出するまでを描いた、チャン・イーモウ監督の作品です。

 

例によって日本では未公開です。特に日本人の残虐性を中心テーマにしているのではなく、また、まともな日本人俳優を使って撮られている映画なのですが、日本人の狭量ぶりにはあきれる他はありません。この程度の描写を冷静に受け入れられない、ましてや怒り狂うなど、どこか精神異常を疑ってしまいます。

 

それなりに話題になり、興行収入を得た映画を、日本が公開しないとするならば、是非とも見ておくべきなのです。

 

さて、この映画を見ることによって、日本人の特徴をあらためて客観的に捉えることができます。下にそれらを挙げましたが、これは映画からだけでなく、日頃接する日本人にも共通してよく確認できるようなものばかりです。

(1)旅の恥はかき捨て、ルールが無くなれば何をしてもよい

(2)上の命令には絶対服従で杓子定規に従う

(3)上の命令であれば、他の人との約束を破っても、ウソをつくことになっても平気

(4)自分たちがいつも虫けら扱いされているため、他人を虫けら扱いしても平気

 

 映画を観て、「日本人を悪く描いている」などとショックを受ける必要はありません。強姦や虐殺、裏切りなどは何処の国の歴史にもあることです。自分に自信があるのだったら、私は絶対にあのような事はしないと思えばいいだけです。臭いものに蓋で、まるで無かったことにしてしまう事のほうが問題です。

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