kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

映画「ハクソーリッジ」にみるゾンビのような日本兵

メル・ギブソン監督の、沖縄戦における実在の衛生兵の活躍を描いた映画、「ハクソーリッジ」を観ました。米国では既にDVDが発売されていますが、日本では公開日もまだ決まっていません。

 

この映画は特に日本兵を異常なものとして描いているとか、悪意が込められているということはなく、極めてニュートラルな描写の映画であると感じました。冷静で客観的です。

 

それだからこそ気づくことがあります。艦砲射撃をしても、陣地を奪っても、相手を倒しても倒しても、日本兵の士気は衰えず、地下壕から這い出てきては、アメリカ兵を悩ませます。米軍は何度も突撃をくりかえし、地下壕を爆薬と火炎放射器で焼き払って、初めてごくわずかの生き残った日本兵が投降するのです。

 

映画の描写自体は非常に公平なのですが、あらためて見る日本兵はまるでゾンビのようです。形勢が不利になっても、負けが確実でも、負傷しても、降伏せずに攻撃してくる。自爆もする。これは不気味です。

 

原爆を落としてやっと日本を降伏させることができた、それでなければ多大なる犠牲を双方で払うことになっただろうという理屈に首肯せざるを得ないのです。日本だって降伏するきっかけが欲しかったのです。

 

通常、戦場での死亡率は5%程度と言われますが、日本兵のそれは20%以上と突出していました。

 

それほどまでに戦場の日本兵というのは異常だったのです。

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映画「金陵十三釵」(The Flowers Of War)に見る日本人の特徴

中国映画、「金陵十三釵(きんりょうじゅうさんさ)」(The Flowers Of War)において、日本の兵士や士官達の興味深い行動を見ることができます。この映画は、日本軍が占領した南京において、女子学生達が牧師に扮した米国人によって教会から脱出するまでを描いた、チャン・イーモウ監督の作品です。

 

例によって日本では未公開です。特に日本人の残虐性を中心テーマにしているのではなく、また、まともな日本人俳優を使って撮られている映画なのですが、日本人の狭量ぶりにはあきれる他はありません。この程度の描写を冷静に受け入れられない、ましてや怒り狂うなど、どこか精神異常を疑ってしまいます。

 

それなりに話題になり、興行収入を得た映画を、日本が公開しないとするならば、是非とも見ておくべきなのです。

 

さて、この映画を見ることによって、日本人の特徴をあらためて客観的に捉えることができます。下にそれらを挙げましたが、これは映画からだけでなく、日頃接する日本人にも共通してよく確認できるようなものばかりです。

(1)旅の恥はかき捨て、ルールが無くなれば何をしてもよい

(2)上の命令には絶対服従で杓子定規に従う

(3)上の命令であれば、他の人との約束を破っても、ウソをつくことになっても平気

(4)自分たちがいつも虫けら扱いされているため、他人を虫けら扱いしても平気

 

 映画を観て、「日本人を悪く描いている」などとショックを受ける必要はありません。強姦や虐殺、裏切りなどは何処の国の歴史にもあることです。自分に自信があるのだったら、私は絶対にあのような事はしないと思えばいいだけです。臭いものに蓋で、まるで無かったことにしてしまう事のほうが問題です。

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ギターを愛したジョージ・ハリスン

ビートルズのメンバーだったジョージ・ハリスンは、かなり過小評価されているギタリストですが、ミュージシャンとしての彼の魅力や特徴を挙げてみます。

 

(1)ギターという楽器をこよなく愛した

ビートルズの他のメンバー、ポール・マッカートニージョン・レノンは、特にギターに拘りはなかったようにみえますが、ジョージはあくまでギタリストとしての立場を貫き通したように思えます。ビートルズを離れてからも、ジョージ・ハリスンはやはりギターに拘っていたように思えます。唯一、浮気した楽器というとシタールぐらいでしょうか。

 

(2)美しい響きの追求

彼は特にギターの和音(コード)の響きが好きだったように思います。ギターはチューニングが完璧でないために、コードを弾くと音が揺らぎ(にごり)ますが、反面、この独特の響きはギターの魅力でもあります。シンコペーションを多用し煌びやかで明るいギターサウンドを奏でている、"If I Needed Someone"や、"Here Comes The Sun"などを聴くとジョージの嗜好がよく分かります。

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(3)音色の追求

ビートルズ自体、初期のシンプルなロックンロールから、複雑で多様な響きや音色を持つグループへと変わっていきましたが、ジョージのギターの音色や奏法もかなりの変化をみせています。楽器というのは、まず音色が良くなければ音楽自体の魅力が失せてしまいます。良いギタリストというのは音色を作るセンスが優れているのです。

"The End"では、ポール、ジョージ、ジョンのギターソロをそれぞれ聴くことができます。ポールはハマリングオンやプリングオフを多用したやや速いが正確な演奏、ジョンは、歪んだ音でリズムに乗せて勢いで聞かせる演奏、ジョージは適度に歪ませたサスティーンのある音で、チョーキングを織り交ぜた、いかにもエレキギターらしいソロを奏でています。

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"My Sweet Lord"や"Real Love"では、心地よい、絶妙な音色、音程のギターを披露しています。こういったセンスがジョージは優れています。

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(4)メロディーよりも美しい和声への興味

彼は単音で弾くメロディーよりも、和声に興味があったようにみえます。"Something"では、半音づつ下がるクリシェを織り交ぜた美しいコード進行がみられます。スタジオ録音盤はアレンジが派手ですが、ギター単体の弾き語りのほうがその良さが分かるような気がします。

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ジョージの曲は、ポールのようにシンプルながらも美しいメロディーの曲、ジョンのような、意表をつくような拍子や構成、コード進行、そしてパワー感溢れる曲とは違う、あくまでギターを主体として、繊細なセンスでギターを弾きこむ事によって生まれたような曲が多いように思います。

ユニークなベートーヴェンの「熱情」第2楽章の和声の美しさ

ピアノソナタ第23番「熱情」というと激しい第1楽章や第3楽章が有名ですが、第2楽章もなかなか素晴らしいのです。緩徐楽章であるにもかかわらず歌うようなメロディーはなく、なんとも心地よいシンプルな和声がメインとなっています。最初にテーマとなる和声が提示された後、3つの変奏曲が示され、最後にまた和声によるテーマが演奏されて終わります。変奏曲形式ですが、大胆な変奏はなく、あくまで最初の和声進行とその調に従っています。そのことがなおさら、この楽章のメインがこの和声であることを物語っています。

 

このテーマ、一見、単純な3種類の和音(主和音、下属和音、属和音)だけで作られているように見えますが、最後にひとひねりあります。主和音→属和音→主和音と終わるべきところに、主和音→属7和音#→属和音→主和音という和声にしているのです。これは当時としては相当に画期的なことだったと思われます。(コードで示すと、D♭→A7sus4→A♭→D♭です)

 

これは一瞬、半音上に転調し、また半音下に転調したと解釈することができます。半音ずれると不協和音、トライトーン(ラ♭とレ)の問題が発生しますが、巧みにその音は避けて和音が作られています。

 

また、ただの属7和音#→属和音の半音進行だと、含まれている音がドーシーシードーと味気ない感じになりますが、属7和音#のところで4度の音を加えることにより、深みのある響きと、レ♭ーシーシードーという、心地よい音の流れを与えています。

 

www.youtube.comベートーヴェン ピアノソナタ第23番「熱情」第2楽章  0:10から0:14のところ)

 

この肝心の転調の部分を「スラー」が付いているとは言え、弱く演奏してしまう奏者が多いのですが、それではこの良さが多くの聴衆に伝わらないような気がします。ファジル・サイはこの部分を強調して弾いています。ベートーヴェンのこの和声の響きの美しさは今でも新鮮さを失っていないことが分かると思います。

 

www.youtube.com(「熱情」 ファジル・サイ演奏  0:29のところ)

 

属和音の前に半音上に転調するというのは、今ではポップスでもよく使われています。例えばビートルズの「プリーズプリーズミー」の最後の和声です。(E→G→C→B→Eの、C→Bの部分)

 

これは全体で見ると、ホ長調からホ短調に転調し(E→Gの部分)、また元に戻ったとも解釈することができ、よりブルージーな格好よさがあります。

www.youtube.comThe Beatles  Please Please Me  1:52から)

福島避難民に対するイジメにみる日本人の心理

福島からの避難民に対するイジメが話題になりました。その内訳は、賠償金に関するもの、避難者であることを理由としたもの、放射能を理由としたものの大きく3つに分けられるそうです。

 

これらのイジメをしている人たちは、特に底意地の悪い人ではなく、こういった行為は、ごく一般的な日本人の心の表れです。

 

以前の記事、「日本人の精神構造からみた社会階層」にも書きましたが、災害や犯罪の被害者は、日本では「不可触民」にあたります。名誉を失い、ケガレを負ったものたちです。要するに、子供の言葉で分かりやすく言うと、「みっともない」、「ばっちい」ということなのです。

 

震災から6年もたつのに、未だに惨めな避難生活を続けていて、さらには賠償金までふんだくっていると、苛めている人たちは感じているのです。さらには放射能で実際に穢れDNAも傷ついているから、汚らしい、お近づきになりたくないというわけです。

 

日本にいる限り、この不名誉は死ぬまで続き、決して払拭することはできません。苛められるのは未だ良いほうで、最終的には無視され、まるで存在しないかのように扱われてしまうのです。