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kurukuru89’s blog

原始キリスト教信者が森羅万象について解説します

日本の強さの秘密は洗脳にあり(幼稚園編)

社会

以前、「日本の強さの秘密は洗脳にあり」という文章を書きましたが、その素晴らしい実例を今話題の幼稚園に見ることができます。戦後、日本は修身教育を禁止されて骨抜きにされましたが、それを復活させたのがこの幼稚園です。

 

ひたすら日本と日本の偉人の素晴らしさ称え、中国や朝鮮、韓国といった周辺国家への反感を植え付ける。それを幼稚園という段階でやる。これこそ洗脳の鏡です。大人になってからの洗脳は時間も手間もかかり、(海兵隊の新兵教育のように)時には少々荒っぽいことも必要ですが、ほとんどの子供は疑いもなく教えられたことを吸収していくので効率がよいのです。

 

例え、この後の教育が通常のものであったとしても、幼児期に教えられた事を忘れることはありません。何か日本が危ういという情報を吹き込まれると、無意識のスイッチが入り、「国のために何かしなければ」という使命感が考える間もなく、頭に思い浮かぶようになるのです。

 

普段は「いい人」であっても、いざスイッチが入れば別人のように勇猛な兵士として、その力を発揮する、戦前の日本兵が強かったのはこういった洗脳教育が徹底していたからです。

 

カミカゼ・アタックこと自爆テロが今でも盛んなのは、ローテクで低コストでありながら、はなはだ効果的であるからですが、洗脳された兵士はこういった目的にも使えます。

 

優秀な兵士を作るのには時間とコストがかかるものですが、今回の方法はもっとも効率のよい方法のひとつだと言えるでしょう。ロボット兵器はさらに金と技術力がいりますが、人間の兵士はセックスして出来てしまった子供を、こうした幼稚園に放り込むだけで作れるのです。おまけにカネは親が払ってくれます。いくらでも代わりがいるし、増産が可能です。日本の未来はまだ少し安泰なようです(笑)

日本は古来より、少数の支配層と奴隷からなる国家だった

社会

日本人はあまり意識していませんが、日本は多民族国家です。中国、朝鮮半島縄文人アイヌ琉球民族、東南アジア、はては中東の人々が日本列島に流入してきて現在の日本人を構成しています。顔もあっさりとした中国人のような顔から、中東系の彫りの深い顔まで、肌色も浅黒い人から透き通るように白い肌の人までさまざまです。

 

日本人は大きく分けるといわゆる弥生系と縄文系との混血が大多数であり、その次に縄文系の特徴が多い人たち、そして中国系、朝鮮系の人々がいます。大多数の日本人は気づいていませんが、日本を本当に支配している「日本人」は、中国系、朝鮮系の人々です。

 

母系のミトコンドリアDNAの分析だけでなく父系のY遺伝子の分析から、中東から地中海由来のD系統遺伝子を持った日本人が多くいることが分かっています。これは一時期、かっての日本において彼らが支配的立場にあって一夫多妻的な制度などで彼らの血筋が広まったことを物語っています。

 

日本というのは大陸から逃げてきて、これ以上行き場のない東の果ての島国にたどり着いた、力の無い人々から成り立った国です。中国は日本とはまったく違って、弱肉強食の世界で生き残ってきた人々です。戦いに負けたものは一族皆殺しか、国外に逃れるしかありませんでした。国というのは多かれ少なかれそうやって作られていくものです。

 

しかし日本では状況が違っていたのです。7世紀に忽然と現れた日本。(正確に言うとそれ以前の日本の歴史は意図的に改ざんされています) そこには常に少数の支配層と大陸から逃げてきた多数の奴隷国民がいました。彼らはおとなしく従う他はなかったのです。支配層は大きなダメージを受けることなく今に至るまで続き、また奴隷層もムシケラではありますが利用価値があるため支配層に好まれたのです。

 

気をつけなければならないのは、一見支配層に属するような人々にも奴隷的資質の人間が多くいるということです。江戸時代では、お上に忠実な民や大名が好まれました。大名であっても目をつけられれば取り潰しにあい、あるいは家名は存続しても全く別の人間に据えかえられたりしました。こうして御しやすい日本国民の特性がますます強化されていきました。

 

そして日本は、外国ならばとても生きていけないような多くの奴隷人と、ごくごく少数で表には出ない支配層から成る国家となったのです。何もせずに奴隷国民を見下げる支配層と、文句も言わずに働き続ける奴隷根性にまみれた人間に日本人は見事に分かれているのです。

愛とは感情ではなく理性の働きによるもの

宗教

「愛」という言葉の意味を誤解している人が多くいます。普通に「愛」といっても人によってその意味はさまざまです。

 

(1)性愛 : おもに男女間で見られる肉欲を伴う激しい感情と欲望

(2)普通の愛 : 子供や友人に対するような、肉欲を伴わないが、自身の「好ましい」という気持ちに裏打ちされた感情

(3)抽象的な愛 : 「人類愛」などの概念的な愛。個々の人々ではなく概念化された集団を好ましいと思う気持ち

 

しかし聖書に載っている愛とは感情や気持ちによるものではなく、あくまで理性の結果によるものです。

「しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。」(マタイ5:44)

「あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。」(マタイ5:46)

 

自分が好きな人を愛するだけでなく、自分の敵でさえも愛さなければならないのです。自分の親兄弟や子供を殺し数々の非道な仕打ちをしてきた悪党も愛さなければなりません。顔が醜くただれたゾンビのような風貌で悪臭を放ち下品で乱暴な言動を繰り返すような人も愛さなければなりません。

 

これは「好き」という感情にもとづいた愛では不可能なことです。そのような敵や隣人を好きになったり、好ましく思ったりすることは無いからです。

 

ですから聖書に書かれている愛は、感情ではなく、あくまで理性にもとづいたものであることが分かります。下に引用した理由から全ての人を分け隔てなく愛することが理想なのです。それは上で述べたような抽象的な愛ではありません。あくまで個々の人々を平等に愛するのです。

 

「こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。」(マタイ5:45)

 

自分と相性が合わないと感じた人はスルーすべきとか、関係を断つべきだと簡単に述べている人が多くいますが、それではだめなのです。例えSNS上の関係であってもです。

 

あくまで論理的に考え、聖書の記述に納得したうえで、敵や醜い人々も含めて平等に、他人にしてほしいと自分が思うことをなす、そのような理性に裏打ちされた考えや行為、それが「愛」なのです。

 

しかし、これは人間にとって非常に難しいことなので、失敗するたび、イエスに許しを得る必要があるわけです。

ジミ・ヘンドリックスの独特の調律からくる響き

音楽

ジミ・ヘンドリックスはチューニングを低めにチューニングしていた事がよく知られています。一般的にチューニングを落とす理由は次の通りです。

(1)自分の声のキーに合わせる

(2)音を歪ませた場合に低音弦での重量感を得る

(3)弦のテンションが弱まり、チョーキングなどが若干やりやすい

(4)チューニングを落とすことによる独特の響きを得る

 

もちろんデメリットもあります。ベースだったらすぐに調律を合わせられますが、ピアノ(Are You Experienced)やチェンバロ(Burning Of The Midnight Lamp)、グロッケンシュピール(Little Wing)などの他の多くの楽器と合わせるのが難しくなります。またジミヘンはE♭のキーも多用しましたが、音に敏感なミュージシャンや聴衆が違和感を持つ可能性もあります。

 

それでもジミヘンが低いチューニングに拘ったのは、心地よい響きを徹底的に追求した結果だと思われます。ギターの場合、高めのピッチは一見きらびやかですが気持ちよく響くのは調律の基準とされる440Hzよりも低めになります。ジミヘンはその派手なパフォーマンスやトリッキーなプレイに注目され勝ちですが、彼のサウンドは聴いていてとても心地よいのです。ファズやアンプで歪ませ、フィードバックを多用しながらも、出てくる音は不快ではありません。

 

ジミヘンのチューニングは基準音のAでいうと、410Hz~430Hzにチューニングされていることが多いです。標準の440Hzより低めです。半音下のA♭で415Hzあたりですから、半音下げの調律でもさらに低めを好んだことが分かります。ジミヘンが神経質にチューニングを繰り返すのがレコードでもビデオでも確認できますが、アーミングの多用によるチューニングの狂いを直すだけでなく、自分にとって気持ちの良いピッチを妥協せずに追及した結果と思われます。

 

どのピッチが良い響きを得られるかといのは個々の楽器の構造にもよりますが、ギターの場合、低めの調律にするとつややかな感じは失われますが柔らかな響きになります。テンションのきつい不協和音を多用したジミヘンですが、それをソフトで聴き易くする効果もあります。

 

現代の楽曲は440Hzやそれ以上のピッチが採用されていますが、昔はもっと低い調律が普通でした。クラシックの古典派は430Hz辺りの調律であり、バロック音楽は415Hz辺りの調律と言われています。チェンバロと合わせる必要のないフラウト・トラヴェルソによるバッハの無伴奏ソナタなどでは今でも410Hzの音階を聴くことができます。ジミヘンはクラシックのレコードも大量に聴いていましたが、(リヒャルト・)シュトラウスワーグナーがお気に入りだったようです。("I dig Strauss and Wagner, those cats are good, and I think they are going to form the background of my music.") 彼のより良い音楽に対する貪欲さが伝わるエピソードです。

 

「パープル・ヘイズ」や、1オクターブ12音で構成される西洋音楽の範疇を超える革新的でありながら心地の良い響きの「アメリカ国家」演奏は430Hzの調律です。

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初期の「アー・ユー・エクスペリアンスト」や、ロイヤルアルバートホールでの名演「リトル・ウイング」は410Hzで調律されています。もちろん、この頃は簡易なチューニング・メーターなどはありませんから、全てジミヘン自身の耳が頼りだったのです。

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前向きで問題解決能力のある人間は、騙されやすく失敗する

心理

前向きで明るく、楽天的であり、さらに問題解決能力に優れている。一見、この世で成功するために必要な資質であるように見えます。ところがこういう人は騙されやすく、洗脳されやすいという面もあるのです。

 

同じように優れたアスリートも洗脳しやすいという知見があります。優れたアスリートは、素質があるのはもちろんですが、コーチの言う事に素直に聞き従います。コーチのアドバイスをもとにして考え、日々の問題や弱点を解決し克服していきます。

 

前向きな人は権威ある人や体制からの助言を、「良いもの」と信じて受け入れます。そこには「実は自分にとって不利益となるようなことを言っているのではないか」という疑いはありません。そして直ぐに自分のものとして受け入れてしまうわけです。

 

しかし状況が変わらないような時代ならともかく、刻々と事態が変化し誰を信じたらいいのか分からない現代においては、少し悲観的で疑い深い人の方が生き残っていきます。

 

巨大なプロジェクトを成功させるために、リーダーに必要な能力のひとつは正しくひとりでリスクアセスができることです。「上や皆がこう言っているから大丈夫だろう」ではプロジェクトリーダーは務まりません。失敗の要素をひとつひとつ地道に潰していくのが大切なのです。

 

もちろん部下を明るく鼓舞するコミュニケーション能力は別に必要です。陸軍大将の大山巌は悲観的な状況でも、周りに対して明るい雰囲気で接しました。戦場はまさに刻々と状況が変わっていく場であり、勇ましいリーダーではなく、慎重で臆病であるくらいのリーダーの方が適しています。ただし、それをあからさまにする必要はありません。

 

最後に付け加えると、戦争においてもビジネスにおいても神がかったような人物が時々いて、何をやってもうまくいってしまうという事があります。しかしそれはまた別の話です。

人は、すべて平等に価値がない

宗教

「すべて平等に価値がない」、映画「フルメタル・ジャケット」において鬼軍曹が新兵にたいして言い放つ言葉ですが、けだし名言です。

 

なまじっか人間に価値があるとか、現在の人生に価値があるとか、人命は地球よりも重いとか信じてしまうから矛盾に突き当たって悩んだり、迷ったりするのです。

 

今の世における人の人生は、他人の策謀や行為によって簡単に破滅したり、終わったりするくだらないものです。そんなものに価値を求めては苦しむばかりです。

 

天界の住人からしたら、人間は低スペックのCPUや低容量のメモリにより制限された頭の悪い愚かな生命体です。ただし魂自体は天界の住人から与えられたもので価値があり、不滅の存在です。

 

そうは言っても大半の人間は無神論者であり、地獄行きです。永遠に地獄でウジに食われる耐え難い痒みと灼熱の炎で焼かれる苦痛を絶え間なく味わうことになる生命体にもはや価値などあるはずがありません。新しい天と地で暮らす人間にとって、穢れたものであり、憎悪、軽蔑の対象です。

 

しかしクリスチャンは、現時点において誰が地獄行きなのかを知ることはできません。なので例え敵であっても、今は愛する必要があるのです。嫌なことをされても許す必要があるのです。

 

主のみ前には、もろもろの国民は無きにひとしい。彼らは主によって、無きもののように、むなしいもののように思われる。(イザヤ40:17)

主は地球のはるか上に座して、地に住む者をいなごのように見られる。主は天を幕のようにひろげ、これを住むべき天幕のように張り、また、もろもろの君を無きものとせられ、地のつかさたちを、むなしくされる。(イザヤ40:22-23)

レッド・ツェッペリン「天国への階段」における純正律の調律

音楽

レッド・ツェッペリンの有名な曲、「天国への階段」のスタジオ録音版冒頭部分は少し不思議な響きを持っています。その秘密はアコースティックギター純正律に近い調律にされているところにあります。

 

通常の平均律に近い調律ではこの感じがでません。ただしギターでは完全な純正律のチューニングは無理であり、さらに半音進行のクリシェも入っているため、若干調子外れに聞こえるわけです。

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この曲はハ長調平行調であるイ短調ですが、純正律に近い響きにするために、冒頭のラの音が下げられています。具体的には4弦が緩められています。ラドミラとアルペジオが進みますが、最初のラ(4弦)と最後のラ(1弦)の音のピッチがずれています。それがこの印象的なイントロの響きの鍵のひとつとなっています。

 

弾き方も工夫があり、4弦だけが緩められているため、全体の調和を乱さないように冒頭以外、4弦は弱めに弾かれており、4小節目のEマイナー、Aマイナーの和音では4弦は省かれて弾かれています。

 

アコースティックギターに続くエレキギターは、通常の平均律に近いチューニングになっています。エレキギターだけで弾かれるライブでも冒頭から通常のチューニングです。

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ジミー・ペイジ純正律を意識したわけでは無いかもしれませんが、鋭い音感と優れたセンスを持っていたことは確かでしょう。