kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

前向きで問題解決能力のある人間は、騙されやすく失敗する

前向きで明るく、楽天的であり、さらに問題解決能力に優れている。一見、この世で成功するために必要な資質であるように見えます。ところがこういう人は騙されやすく、洗脳されやすいという面もあるのです。

 

同じように優れたアスリートも洗脳しやすいという知見があります。優れたアスリートは、素質があるのはもちろんですが、コーチの言う事に素直に聞き従います。コーチのアドバイスをもとにして考え、日々の問題や弱点を解決し克服していきます。

 

前向きな人は権威ある人や体制からの助言を、「良いもの」と信じて受け入れます。そこには「実は自分にとって不利益となるようなことを言っているのではないか」という疑いはありません。そして直ぐに自分のものとして受け入れてしまうわけです。

 

しかし状況が変わらないような時代ならともかく、刻々と事態が変化し誰を信じたらいいのか分からない現代においては、少し悲観的で疑い深い人の方が生き残っていきます。

 

巨大なプロジェクトを成功させるために、リーダーに必要な能力のひとつは正しくひとりでリスクアセスができることです。「上や皆がこう言っているから大丈夫だろう」ではプロジェクトリーダーは務まりません。失敗の要素をひとつひとつ地道に潰していくのが大切なのです。

 

もちろん部下を明るく鼓舞するコミュニケーション能力は別に必要です。陸軍大将の大山巌は悲観的な状況でも、周りに対して明るい雰囲気で接しました。戦場はまさに刻々と状況が変わっていく場であり、勇ましいリーダーではなく、慎重で臆病であるくらいのリーダーの方が適しています。ただし、それをあからさまにする必要はありません。

 

最後に付け加えると、戦争においてもビジネスにおいても神がかったような人物が時々いて、何をやってもうまくいってしまうという事があります。しかしそれはまた別の話です。

人は、すべて平等に価値がない

「すべて平等に価値がない」、映画「フルメタル・ジャケット」において鬼軍曹が新兵にたいして言い放つ言葉ですが、けだし名言です。

 

なまじっか人間に価値があるとか、現在の人生に価値があるとか、人命は地球よりも重いとか信じてしまうから矛盾に突き当たって悩んだり、迷ったりするのです。

 

今の世における人の人生は、他人の策謀や行為によって簡単に破滅したり、終わったりするくだらないものです。そんなものに価値を求めては苦しむばかりです。

 

天界の住人からしたら、人間は低スペックのCPUや低容量のメモリにより制限された頭の悪い愚かな生命体です。ただし魂自体は天界の住人から与えられたもので価値があり、不滅の存在です。

 

そうは言っても大半の人間は無神論者であり、地獄行きです。永遠に地獄でウジに食われる耐え難い痒みと灼熱の炎で焼かれる苦痛を絶え間なく味わうことになる生命体にもはや価値などあるはずがありません。新しい天と地で暮らす人間にとって、穢れたものであり、憎悪、軽蔑の対象です。

 

しかしクリスチャンは、現時点において誰が地獄行きなのかを知ることはできません。なので例え敵であっても、今は愛する必要があるのです。嫌なことをされても許す必要があるのです。

 

主のみ前には、もろもろの国民は無きにひとしい。彼らは主によって、無きもののように、むなしいもののように思われる。(イザヤ40:17)

主は地球のはるか上に座して、地に住む者をいなごのように見られる。主は天を幕のようにひろげ、これを住むべき天幕のように張り、また、もろもろの君を無きものとせられ、地のつかさたちを、むなしくされる。(イザヤ40:22-23)

レッド・ツェッペリン「天国への階段」における純正律の調律

レッド・ツェッペリンの有名な曲、「天国への階段」のスタジオ録音版冒頭部分は少し不思議な響きを持っています。その秘密はアコースティックギター純正律に近い調律にされているところにあります。

 

通常の平均律に近い調律ではこの感じがでません。ただしギターでは完全な純正律のチューニングは無理であり、さらに半音進行のクリシェも入っているため、若干調子外れに聞こえるわけです。

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この曲はハ長調平行調であるイ短調ですが、純正律に近い響きにするために、冒頭のラの音が下げられています。具体的には4弦が緩められています。ラドミラとアルペジオが進みますが、最初のラ(4弦)と最後のラ(1弦)の音のピッチがずれています。それがこの印象的なイントロの響きの鍵のひとつとなっています。

 

弾き方も工夫があり、4弦だけが緩められているため、全体の調和を乱さないように冒頭以外、4弦は弱めに弾かれており、4小節目のEマイナー、Aマイナーの和音では4弦は省かれて弾かれています。

 

アコースティックギターに続くエレキギターは、通常の平均律に近いチューニングになっています。エレキギターだけで弾かれるライブでも冒頭から通常のチューニングです。

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ジミー・ペイジ純正律を意識したわけでは無いかもしれませんが、鋭い音感と優れたセンスを持っていたことは確かでしょう。

仲間1人のために99人を犠牲にする日本人

99人の利益の為に1人を犠牲にしてよいか? 小説やドラマでよく扱われるジレンマです。ところが日本人は仲間1人の為に、残りの99人を犠牲にするのです。

そこには何のためらいも躊躇もありません。日本人にとってはジレンマでもなんでもないのです。驚きです。モラルもなければ論理もありません。滅茶苦茶です。

自分が所属するムラ社会のため、役所のため、会社のため、OBのため、先輩、先生のため、自分の所属する集団や仲間の利益を最大にできるのならば、その他の多くの人々の不幸などお構いなしなのです。

だから、警察の体面を保つために冤罪が量産されたり、検察に起訴されると99%が有罪になったり、原発を守るために大勢の人間が死んだり、少数の者の為に大勢の国民が貧困にあえいだりと、異様な事態がこの国ではまかり通っているわけです。

仲間内の空気を読むことはできても、大局を考えることができない人たち。

よしんば本人に悪意が無いとしても、結果として大勢の同胞がムシケラのように扱われ死んでいく、それが日本という国なのです。

同胞をムシケラ扱いする日本人

普通の日本人であれば、できれば白人にかしずいたり、支配されたくは無いものです。白人にとって異教徒や、有色人種はムシケラでしかありません。

では同じ日本人の支配下にあれば幸せかというと、そうとは言えないのです。支配層の日本人は支配下の日本人をムシケラとしか見ていないからです。さらに同じような地位にある白人と比べて、彼らは、はるかに無能で残虐です。

普通の国では上にいくほど優秀な人間が現れるが、日本では逆に、上に行けば行くほど無能な人間が現れるという話があります。

また日本人の残虐性については、戦時中の捕虜の扱いや、現地人に対する非道な行為などで今でも根に持たれており、たびたび映画化もされています。これらは決して悪意のあるプロパガンダとは言えません。数が多かった、少なかったというのが争点ではありません(笑) そういった行為は確かに存在していました。

また下っ端の日本兵に対しても酷い扱いがあったのですが、メディアが取り上げないので話が大きくならないだけです。原爆や空襲で酷い目にあったという戦争被害者体験はよく取り上げられますが、加害者側の話も含めて、これでは公平とは言えないでしょう。

しかし必死にグローバリズムに対応してきたつもりの日本人も、そろそろ終わりでしょうか。上から下まで日本人は家畜人ヤプーとしての生き方しか残されていないのかもしれません(笑)